後白河法皇の歌謡集『梁塵秘抄』
「今様いまよう」という平安時代の流行歌のジャンルを知ってますか? 言葉の直接の意味は、「今風」「現代風」。 策謀家として知られる後白河法皇も、 平安中期に誕生したという「最新」の今様にゾッコンだったんです…
「今様いまよう」という平安時代の流行歌のジャンルを知ってますか? 言葉の直接の意味は、「今風」「現代風」。 策謀家として知られる後白河法皇も、 平安中期に誕生したという「最新」の今様にゾッコンだったんです…
1192年3月13日、 後白河法皇は六条殿(六条御所)で 画策と陰謀を駆使した波乱の生涯を閉じました。 享年66。 後白河法皇崩御と埋葬 1191年、後白河法皇は戦火で失われた法…
後白河法皇の生涯はかなり波乱に満ちていました。 なんせ平氏が栄え、衰えて滅び、源氏が台頭していく世の中を、 当事者の一人としてずっと間近で見てきたのですから。 その証しに法皇自身も危険な目に遭い、3度も幽閉…
後白河法皇と平清盛。 強烈なキャラクターの二人は、手を組む時期もあれば、険悪だった時期もあります。 強大な力を持っていた2人の結びつき方はとってもビジネスライクでした。 実に気の…
特に政治的なポリシーはなく、 見方によれば情勢に翻弄された後白河法皇。 その時に一番勢いのあった人物と協力し反目しながら 公家から武士の時代への境目を渡りあるいた人物です。 さて、後白河法皇はどんな人物で、…
近衛天皇が急逝し、 幼い守仁もりひと親王が二条天皇となるまでの「つなぎ」の天皇だった 後白河天皇。 流行歌の今様に没頭し、無能だと思われていたはずが、 ひとたび天皇の位に就くと、したたかな政治家ぶりを発揮し…
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は、平氏討伐を掲げて挙兵したあと、一度だけ敗戦を経験しました。 伊豆にて流人の立場から挙兵した直後の「石橋山の戦い」です。 このとき、頼朝を敗走させた武将が 大庭景親おおばかげちか…
源平合戦で戦功を挙げたヒーローといえば、誰しも一番に思い浮かべる 源義経みなもとのよしつね。 類稀なる戦の天才として、逸話や伝説に事欠かない人物です。 しかし、思いがけず謀反人となり幕府を追われたため、実際…
伊東祐親いとうすけちかは、生涯平氏に忠義を尽くしたことで知られています。 祐親とはどんな人物だったのか、また源頼朝との関わりについてご紹介いたします。 伊東祐親はどんな人? &n…
平宗盛たいらのむねもりは平清盛の息子でした。 平家が源氏に敗戦・滅亡した壇ノ浦の戦いの時に平家一門を率いていたのです。 これだけも、彼の人生が平坦ななものではなかったことが想像できそうですね。 宗盛がどんな…