幽閉場所に事欠かない貴人、後白河法皇の3度の経験

 

後白河法皇の生涯はかなり波乱に満ちていました。

なんせ平氏が栄え、衰えて滅び、

源氏が台頭していく世の中を、

当事者の一人としてずっと間近で見てきたのですから。

その証しに法皇自身も危険な目に遭い、3度幽閉されてもいます。

 

1度目の幽閉 by 源義朝・藤原信頼 平治の乱

後白河法皇には院の近臣と呼ばれる側近たちがいました。

中でも頭脳明晰な藤原信西(しんぜい)をとても信頼し大きな権限を与えていたのです。

保元の乱後の不公平から平治の乱へ

1156年の保元の乱という崇徳上皇との争いの後、勝利した後白河天皇側に功労のあったのは平清盛と源義朝でした。

しかし、院の近臣として強大な権力を持つ信西は、平清盛だけを厚遇。

当然、源義朝はそれが不満でした。

そこで、信西と対立する同じく院の近臣だった藤原信頼と手を組み、クーデターを起こしたのです。

1159年12月、兵力を持つ平清盛が熊野参詣に出掛けて京都を留守にしている隙に、後白河上皇の院御所である三条殿を襲撃。

後白河上皇は二条天皇が居る内裏の一箇所に軟禁状態にされ、逃げ隠れていた信西は結局自害となりました。

清盛の仕返し

に戻った平清盛は、圧倒的な兵力で二条天皇を奪います。

後白河上皇もそのとき逃亡したので幽閉期間は長くありません。

清盛にとって、天皇を確保するということは、朝敵にされる心配がないということ。

結局、源義朝と藤原信頼が朝敵となって、味方になる後白河上皇もいないまま、二人とも殺されてしまいました。

二条天皇と組んでいた平清盛はその後、後白河上皇と権力を巡って争います。

しかし、二条天皇が早くに崩御してしまうと、その後は清盛も抜け目なく後白河院に歩み寄りました。

2度目の幽閉 by 平清盛 治承3年の政変

1177年、鹿ヶ谷の陰謀という後白河院の平氏打倒の陰謀が清盛に発覚。

それ以降、平清盛と一触即発の関係になっていたのに、後白河院は懲りません。

欲張った後白河院に清盛の倍返し

1179年、清盛の息子平重盛と娘の平盛子が相次いで亡くなりました。

すると、後白河院は彼らの所領をすぐ没収してしまいます。

死んだ途端に土地を取り上げる法皇の無神経さと、支援して亡き娘を嫁がせていた夫に相続させるはずの土地を無くし、面目丸つぶれになったこと、それに続いた反平氏勢力の気配に清盛の怒りは爆発。

数千騎の大軍で福原から上洛します。

武力を背景に後白河院の息のかかった者たちを次々官職から解き、院の決定を全てご破算にしました。

さらに高倉天皇を操って、天皇の公式命令として平氏に有利な人事を断行。

そして後白河院を鳥羽殿に幽閉して院政を停止させたのです。

これにより、平家の知行国は17カ国から32カ国に増え、日本の半分を占めることになりました。

清盛の死をラッキーとする懲りない法皇

翌年には高倉天皇が譲位して清盛の孫、安徳天皇に代わりました。

清盛は上皇となった高倉院を操り、結局は自分が安徳天皇に代わって執政までするようになったのです。

これで政界は思うがままのはずの清盛。

しかし、なんと1181年に高倉上皇の崩御に続いて清盛までもが亡くなってしまいました。

これで再び自由になった後白河法皇にチャンス到来! 

けろりと院政を再開するのです。

3度目の幽閉 by 木曽義仲 法住寺合戦

1183年、平氏を都落ちさせた木曽(源)義仲が法皇に歓迎されたのは、最初だけ。

京の治安は良くならず、しかも義仲軍の素行の悪さに後白河法皇は義仲を見限ります。

人のコントロールなら、田舎育ちの素朴な木曽義仲よりも何枚も上手な後白河法皇。

義仲に西国での平氏追討を命じて京から追い出しました。

そして義仲の留守中に関東の源頼朝に乗り換えたのです。

怒って京に戻ってきた義仲に、無茶な命令をする後白河法皇。

義仲は怒りのあまり法皇の院御所である法住寺殿を襲撃し、法住寺殿から後白河院を捕らえ、摂政・近衛基通の五条東洞院邸に幽閉しました。

しかし、1184年、源頼朝に派遣された源範頼(のりより)・義経軍によって木曽義仲は敗死。

後白河院はすぐに解放されました。

おわりに

こうやって見ると、後白河法皇は敵対する勢力の気持ちを逆なでする天才のようです。

のらりくらりと相手をかわしながら隙があれば利益をすべて自分にもって行こうとする抜け目のなさ。

3度の幽閉をしぶとくやり過ごし、相手のだれよりも長く生きた法皇はなかなかのやり手だと思いませんか。

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku 明石 白(akashihaku)Facebook https://www.facebook.com/akashihaku