石田三成ブランドを形作る旗と家紋
その昔戦国大名たちは、戦場で使用する旗印と呼ばれるトレードマークを持っていました。 それとは別に、彼らの家柄を示す家紋もあります。 もちろん石田三成もその両方を持っていました。 彼の旗印と家紋について見てい…
その昔戦国大名たちは、戦場で使用する旗印と呼ばれるトレードマークを持っていました。 それとは別に、彼らの家柄を示す家紋もあります。 もちろん石田三成もその両方を持っていました。 彼の旗印と家紋について見てい…
偉大な祖父・尼子経久の後を継ぐことに決まった時、 尼子晴久あまごはるひさはたったの4歳でした。 一体何があったのか、そして志半ばで死んでしまった尼子晴久とはどんな人物だったのでしょうか。 尼子…
足軽から大名へと躍進したのは豊臣秀吉に限ったことではありません。 近江出身の藤堂高虎も足軽から大出世した大名の一人。 藤堂高虎とは一体どうやってそんなに出世することができたのでしょうか。 そして彼はどんな人…
藤堂高虎は、低い身分から徳川家康のお気に入り大名に上り詰めるまでに、努力と苦労を重ねた人物です。 戦では大活躍、文化人の一面もあり、藤堂家を仕切った高潔で鋭いイメージですが、人情深い面もありました。 残され…
8人の主君に家臣として仕えた戦国武将の 藤堂高虎。 彼自身が自分の家臣に対してどのように接したのか、高虎と家臣団との関係をご紹介します。 低い身分から立身出世した藤堂高虎は、父親から譲られた地位も家臣もあり…
足軽から苦労して大名となった武将・藤堂高虎には、有名な兜が残されています。 なかなか個性的な兜ですが、当時に武将の間で流行った具足の説明を交えてそれをご紹介しましょう。 「当世具足」と「変わり…
8人の主君に仕えたことで、裏切り者、薄情者などと呼ばれることもある 藤堂高虎。 しかし、戦国の世において主君を変えて働くことは一つの処世術であり、優秀な人間でなければ転職がそう簡単に決まるわけがありません。…
亀山天皇、後宇多天皇の在位中、そして惟康親王が征夷大将軍であった時代に、 鎌倉幕府第8第執権となった北条時宗。 執権とは何でしょう? そして北条時宗は執権として何を行い、彼自身はどんな人物だったのでしょう…
保元の乱で源義朝や平清盛ら武士が台頭し、武力を持つことの凄さを自覚することになりました。 3年後の平治の乱では、さらに武士が中心となって事件が進みます。 そしてこれが源義朝最後の戦となりました。  …
保元の乱は武士が中央に進出することを決定的にした事件です。 源義朝は、その乱で勝利した側の武将でした。 しかし、彼は素直に勝利を喜べたわけではなさそうです。 乱が起きるまでの背景 1156年に…