立花宗茂。
と言えば同時に出てくる人物が
立花誾千代ではないでしょうか。
誾千代は宗茂の正妻ですが、男勝りな勇ましい女傑としても有名ですね。
武勇に優れた宗茂とは相性が良さそうに思えますが、
実際の2人の仲はそうでもなかったようです。
見ていきましょう。
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宗茂と誾千代の仲
宗茂と誾千代、2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか。
調べてみましたので一緒に見ていきましょう。
立花誾千代とは
まずは立花誾千代とはどんな人なのでしょう。
誾千代は37戦37勝という生涯の戦で負け無しという猛将・立花道雪の一人娘として生まれました。
道雪57歳のときの子供で、溺愛されて育ったと言います。
一人娘だったため、跡取りとして育てられた誾千代は、武芸に秀でた姫に育ちます。
正式な手続きを経て、7歳で父から立花家の家督を譲り受けます。
跡取りとして育てられたのですから、男勝りな性格は致し方ないとも言えますが、誾千代は相当頑固だったようです。
誾千代の「誾」は
・安らぎ慎む
といった意味がありますが、どうも慎みとは真逆の性格だったようです。
宗茂は婿養子
宗茂は立花家の婿養子です。
宗茂は高橋招運の嫡男でした。
嫡男ですから、ゆくゆくは高橋家を継ぐはずです。
それでも道雪は熱心に「宗茂を婿に欲しい」と懇願します。
道雪にしてみれば、「この男になら家と娘をまかせられる!」と思った男をみすみす逃がしてなるものか、という思いだったのかもしれません。
道雪の熱意に根負けした招運は、宗茂を立花家の婿に出すことを決めます。
2人が結婚したのは宗茂15歳、誾千代13歳の時でした。
宗茂が婿養子になると、誾千代に代わり立花家の家督を譲り受けます。
ほぼ別居状態
女といえど跡取りとして育てられ、7歳から6年間は立花家の当主として過ごしてきた誾千代にとっては、心穏やかではなかったかもしれません。
当主が2人、同じ屋根の下にいると考えたら上手くいかないのも納得です。
宗茂は国替えとなり、豊臣秀吉から筑後柳河を拝領しますが、
誾千代は父の墓がある場所を離れたくないと城を出て、宮永村に居を構え別居状態になります。
2人が結婚したのが1581年で、宗茂が筑後柳河を拝領したのが1587年ですから、その同居生活はわずか6年という短いものでした。
その6年の間も、決して仲睦まじいとは言えない間柄だったようです。
きょうのまとめ
立花宗茂と立花誾千代の夫婦仲についてご紹介しましたが、
いかがでしたでしょうか。
誾千代は34歳の若さで亡くなりますが、宗茂は手厚く誾千代を弔っています。
「仲が悪かった」と言われている2人ですが、夫婦のことは夫婦にしか分かりません。
愛情ではなかったかもしれませんが、夫婦の情は確かにあったのかもしれません。
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