鎌倉幕府の第5代執権である
北条時頼はお寺を鎌倉に建てます。
それが建長寺です。
建長寺はどのような寺なのか紹介します。
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北条時頼の建てた建長寺とは?
時頼と禅宗
北条時頼は禅宗の信仰がありました。
禅宗の僧侶である道元を鎌倉に住んで貰おうとお願いしたり、執権を退いた後で禅宗の僧侶として出家するほどの熱心さです。
そんな時頼が建てるのに力を注いだのが建長寺です。
時頼が建長寺を建てたのは鎌倉に禅宗の寺が無かったからです。
中国から伝来した禅は鎌倉時代の頃から布教が始まりました。
しかしまだ禅宗はそこまで広まっていなかったのです。
<建長寺>
鎌倉初の禅寺
時頼が建長寺を建てる前にはある問題がありました。
禅寺を任せる住職を誰にするのか?
時頼は自分が納得できる住職を待っていました。
そんな時に1人の禅宗の僧侶が中国から来ました。
蘭渓道隆と言う僧侶です。
道隆が鎌倉の寿福寺に来たと知ると時頼は寿福寺に通うようになります。
時頼は「鎌倉に禅寺を作るので道隆に住職になって貰いたい。」とお願いします。
道隆はそれを受け入れ、鎌倉初の禅寺となる建長寺の初代住職となります。
こうして日本初の禅宗だけの禅寺となる建長寺が鎌倉で開かれたのです。
栄える建長寺
建長寺は建長5年(1253年)に開かれます。
道隆は法語規則を定めて厳しい修業を弟子に課します。
内容はとても具体的です。
・沐浴の日は夕刻より深夜11時までと、午前2時から午前6時は座禅を行う
・僧堂に戻らないものは、寺を追い出す
など厳しい規則を道隆は定めました。
建長寺には中国からの禅の僧侶や、中国で学んだ僧侶が多く居ました。
学びたい僧侶達が建長寺に集まり1000人の僧侶が居たとされます。
これも執権の時頼により建てられ、禅宗の布教が幕府により認められたからです。
建長寺の仏像
建長寺には時頼にまつわる仏像があります。
それは「千手観音菩薩像」です。
建長寺にある千手観音像は弘長3年(1263年)ごろ、
病に倒れた時頼の回復を願う為に作られたと言われています。
他には、建長寺が開いた時から地蔵菩薩坐像」という仏像があります。
時頼と道隆は地蔵菩薩に、戦乱や災害で乱れる鎌倉時代の世の中が平穏になるよう願いを込めていました。
建長寺は時頼の信仰と、世の平穏を願う寺でもあったのです。
きょうのまとめ
禅は鎌倉時代ではまだ広まったばかりの宗教でした。
そんな禅を北条時頼が信仰して建てたのが建長寺です。
建長寺は禅宗の中心地として日々、厳しい修行や学びに励みます。
その結果金閣寺を建てた室町幕府第3代将軍の足利義満は、鎌倉五山にて建長寺を一位としました。
建長寺が鎌倉にある禅寺で一番の寺だと認めたのです。
建長寺はこうして格式高い禅寺として現在も続いているのです。
※鎌倉五山: 日本の禅宗のうち、臨済宗の寺院を格付けをする制度
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