新選組メンバー武田観柳斎とはどんな人物?【完全版まとめ】

 

内部粛清が多かった新選組

幹部隊士であった武田観柳斎も新選組の手で暗殺された犠牲者の一人でした。

さて、彼はどんな人物で、なぜ暗殺されたのでしょうか。

 

武田観柳斎はどんな人?

プロフィール
  • 出身地: 出雲国(現在の島根県)
  • 生年月日: 1830年~1835年頃か
  • 死亡年月日: 1867年7月23日 享年33歳(生年1835年説の場合)
  • 新選組での役職: 五番隊組長、副長助勤、戦奉行、文学師範
  • 剣の流派: 北辰一刀流、そして甲州流もしくは長沼流軍学
  • 愛刀: 越前住常陸守兼植(えちぜんじゅうひたちのかみかねうえ)
  • 墓: 不明
  • 文武に優秀で軍学の専門家として新選組で重用されたが、やがて知識が時代遅れとなり、居場所をなくして脱退。倒幕活動をしていたのが露見して新選組に暗殺された。

武田観柳斎 年表

年表

西暦(年齢)

1835年(1歳)
  常陸志筑藩士鈴木専右衛門忠明の長男として誕生

1863年(29歳)
  新選組に参加

1864年(30歳)
  池田屋事件で活躍

1866年(32歳)
  新選組脱退

1867年(33歳)
  伏見の竹田街道の銭取橋にて殺害される

 

武田観柳斎の生涯

武田観柳斎の新選組入隊は比較的早い段階でした。

もともと近藤勇とは江戸で知り合っていたと言われています。

文武に秀で、池田屋で活躍

生年は諸説あるようです。

本名は福田廣で、諱は徳裕(とくひろ)です。

出雲母里の出身で医学生でした。

脱藩して江戸に出て甲州流軍学を学び、甲斐武田氏にちなんで武田姓を名乗っていました。

1863年に文武ともに優れた彼が入隊すると、学者として近藤勇に重用され、翌1864年には副長助勤に抜擢されました。

同年6月の池田屋事件では、古高俊太郎を捕縛して尊王攘夷派志士の不穏な動きを掴みます。

当日は近藤隊としていち早く池田屋に駆けつけ、その時の活躍で武田は二十両の褒賞金を賜っています。

翌月、7月19日の禁門の変で、軍事方として戦略担当幹部となり、天王山攻略などで甲州流軍学の実力を発揮。

五番隊組長として活躍しました。

隊内での立ち位置に失敗

しかし、新選組が幕府に従ってフランス式調練を取り入れるようになると、武田の軍学は時代遅れとなります。

また同じ軍奉行の新幹部・伊東甲子太郎の影響力が強くなり、彼は影の薄い存在になっていきました。

やがて武田は倒幕思想に傾倒するようになります。

近藤勇と意見を異にする伊東甲子太郎と接触しようとしますが、それを近藤に禁止され立場を失った武田。

近藤に除隊を願い出て新選組を脱退します。

のち御陵衛士として分離した伊東甲子太郎に接触しますが、新選組と御陵衛士の間での隊士の相互受け入れが禁止されていたため、伊東にも拒絶され失敗。

その後、密かに倒幕派である薩摩藩との接触を企てていました。

しかしそれらの行動は全て近藤や土方歳三らに看破されていたのです。

1867年6月22日、武田の送別会と称した新選組の宴会が開かれました。

実はこれは武田暗殺のための口実。

宴の後、武田は斎藤一、篠原泰之進に送られることになります。

竹田街道の銭取橋で2人のどちらか、もしくは両名によって暗殺されたと言われています(当時斎藤らは御陵衛士に加わっており、暗殺したのは別の隊士の可能性も)。

 

印象的なエピソード

近藤に媚びて反感を買う

永倉、原田、斎藤らが会津藩に上申した近藤の傍若無人な振る舞い「非行五ヶ条」を提出した時、メンバーの主張は、

「近藤勇を局長と認めるが、家臣ではなく同志だ」

ということでした。

のちの近藤と永倉たちとの間の和解には、武田が尽力したとも言われています。

しかし、もとはといえば近藤が増長したのは、武田観柳斎が

「隊士は家臣として局長を慕っている」

と吹き込んだのが原因だとか。

弁の立つ武田は、隊士には少々嫌みで、近藤勇および土方歳三に対して媚びへつらうようなところもあり、永倉新八などはそれを目の敵にしていたそうです。

隊内での彼の評判は・・・かんばしくありませんでした。

男色で命を落とした?

命を惜しむことなく戦えるようにと、隊士が妻帯していても近くに妻を住まわせることを良しとしなかった新選組。

女人禁制の男ばかりの組織の中で、いつしか男色(男の同性愛)が流行するようになりました。

男たちが共に戦った戦友、生活の大部分の時間を共有している仲間との間に、やすらぎを求める特別な感情が生まれてくることもあったのでしょう。

しかし、新選組内での男色は、局長の近藤にとって頭の痛い問題でした。

ある時から、新選組美男五人衆の一人と言われる、16歳の馬越三郎という青年が、武田観柳斎に惚れられてしまいます。

執拗にいいよる武田に嫌気のさした馬越は、困り果てて土方に相談していました。

そんなあるとき、彼は偶然武田が薩摩屋敷からでてくるところを目撃したのです。

馬越がそれを密告したことにより、武田は新選組に暗殺された…と言われています。

一方では馬越の新選組脱退と武田暗殺のタイミングが合わないので、関わりはないとも。

真相やいかに!?

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

武田観柳斎についていかがでしたでしょうか。

武田観柳斎とは?

簡単にまとめると

① 文武に優れ、近藤勇に重用された新選組の文学師範、軍奉行

② 甲州流軍学に優れた人物でありながら、西洋式軍学の知識のなさに泣いた人物

③ 幕末混迷の時期に信念を持って生きる精神力の弱さが命取りとなった男

と言えるのではないでしょうか。

その他にも新選組にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku 明石 白(akashihaku)Facebook https://www.facebook.com/akashihaku