室町幕府の将軍であり太政大臣まで務めた
足利義満は、征夷大将軍でもありました。
足利家の中でも最も権力と才能に恵まれたこの人物は、
どのようにしてこれらの地位を確立して行ったのでしょうか。
少し調べて見ましょう。
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征夷大将軍とは
まず征夷大将軍とはどのような立場なのかみてみましょう。
征夷大将軍は朝廷の律令の制度に規定のない自由な役職です。
飛鳥や奈良時代以来、
東北の蝦夷征伐を指揮する官職の名前の1つです。
すでに蝦夷征伐はなくなっていますが、その言葉だけは続いていたようです。
最初の征夷大将軍は、坂上田村麻呂でした。
796年蝦夷征伐を指揮するために彼に授けられた役職です。
次に征夷大将軍になったのは源頼朝で、平家や奥州藤原家を滅ぼし、この職名を与えられました。
しかし源頼朝の背後には北条氏がいたため、
名ばかりの征夷大将軍だったと言えるかもしれませんね。
頼朝には気の毒ですが、北条の傀儡と言われていますから。
その後、室町幕府の初代当主足利尊氏をはじめとして、足利15代の征夷大将軍が生まれたのです。
足利義満の征夷大将軍就任
義満は父の義詮が亡くなったことにより、
元服と同時に1368年に征夷大将軍となりました。
わずか10歳の時でした。
この時代、10歳で後を継ぐことはよくあることで、決して義満が特別に若い後継者というわけではなかったようです。
義満は帝王学を学び、九州に今川貞世や大内義弘を派遣し、南朝の力を削いでいきます。
徐々に南朝を弱らせて、やがて南北朝時代を終わらせたのでした。
征夷大将軍から太政大臣へ
足利義満は将軍の座を息子の義持に譲り、
早々と隠居をしますが、政治の実権は握ったままでした。
そして朝廷より太政大臣の位を得ています。
征夷大将軍は武家のトップ、太政大臣は公家のトップなのです。
これで足利義満がいかに力を持っていたかよくわかりますね。
この力は、公家にとって面白くない展開だったでしょう。
しかしそんなことは御構い無しに、世の中を動かす力を意のままに得ていたのです。
きょうのまとめ
足利尊氏が開いた室町幕府の中で
最も栄華を極めたのは足利義満だったのです。
それは義満の建てた金閣寺を見てもわかりますね。
足利義満は、武家の力と公家の力両方を得て天下に君臨した大物だったのです。
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