劉備玄徳と諸葛孔明の出会いとは?

 

劉備玄徳(りゅうびげんとく)の下で

軍師として仕えた諸葛孔明(しょかつこうめい)。

もしも劉備が諸葛孔明を軍師として迎え入れることができなかったら、

中国の歴史は大きく変わっていたかもしれないとまで言われるほど、

諸葛孔明の活躍は素晴らしいものでした。

今回は、彼らがどのようにして出会ったのかを紹介します。

劉備に出会うまでの諸葛孔明

劉備と出会うまで、諸葛孔明は弟と一緒に朝は早くから農作業に励み、
昼は学校で勉強をして、夜は一人でまた勉強に励む…というとてもストイックな生活をしていました。

努力の甲斐があって、諸葛孔明は後に自分を劉備に紹介してくれた友人である徐庶(じょしょ)からも才能を認められることになります。

劉備が諸葛孔明に興味を持ったのは、友人のおかげ

劉備が諸葛孔明という人物に興味を持ったのは、自分の部下である徐庶が諸葛孔明の才能を高く評価していて、劉備に諸葛孔明を軍師として迎え入れるように薦められたからです。

徐庶は諸葛孔明の友人であり、とても賢く知識が豊富なために劉備からも信頼が厚い部下の一人でした。

そんな徐庶から、

天下を統一するためには、

諸葛孔明という人物を手に入れることが不可欠です。

と話をされた劉備は、自分のもとに諸葛孔明を連れてきて欲しいと徐庶に頼みます。

しかし、徐庶は

本当に自分の下で仕えて欲しいと思うのであれば、

彼の性格を考えると陛下が自分で彼に会いに行くべきです。

と劉備に伝えます。

それを聞いた劉備は自分で諸葛孔明のもとを訪れることを決めて、諸葛孔明に会いに行きます。

劉備が諸葛孔明のもとを訪れる前に、徐庶は

君のことを劉備に紹介しておいたから、彼が家を訪ねてくると思う。

彼が家を訪ねてきたら、追い払わずに話をして欲しい。

と諸葛孔明に助言をしていました。

せっかく会いに行ったのに

劉備が最初に諸葛孔明の家を訪ねた際、

運悪く諸葛孔明が留守にしていたため、二人は出会うことができませんでした。

日を改めてもう一度劉備が諸葛孔明の家を訪れると、
何と今度は諸葛孔明が風邪をひいて寝込んでいたために、またしても二人は話すことができませんでした。

信頼する部下の徐庶が推薦する人物なので、劉備はまた諸葛孔明の家を訪れようとします。

しかし三度目に諸葛孔明の家に行く前に、

こんなに会えないならわざわざ部下として迎え入れなくても良いのではないか

と助言し、劉備が諸葛孔明に会いに行くことを止めようとした部下もいたようです。

若干の部下の反対もありましたが、
劉備はもう一度諸葛孔明の家を訪れ三度目にしてやっと二人はきちんと出会うことができました。

戦略を話して、軍師として迎えられる

諸葛孔明は三度も劉備が自分のことを訪ねてきてくれたことに厚く感謝し、自分が練っていた天下統一の作戦を劉備に伝えます。

どの土地をどのように攻めることが天下統一のために必要か、しっかりと戦略を話す諸葛孔明に感心した劉備は、正式に軍師として仕えて欲しいと諸葛孔明に頼みます。

諸葛孔明も劉備の申し入れを承諾したことで、劉備に仕えることになりました。

ずるい戦略を練ることもあった、諸葛孔明

劉備はとても優しく、人徳のある人物として知られています。

そんな劉備に、諸葛孔明はちょっとずるい戦略を提案することもあったようです。

荊州(けいしゅう)の支配者が亡くなって、その土地が混乱に陥っていた際に諸葛孔明は、

この混乱に乗じて次の支配者を倒すことができれば、荊州を手に入れることができます。

この土地を手に入れることは、曹操(そうそう)と後々に戦う時に有利になりますよ。

と劉備に伝えました。

そのときに劉備は、

そんなことをしてしまっては、荊州の民に申し訳ない。

と諸葛孔明の提案を聞き入れませんでした。

その土地の人々のことを考える思いやりがあることが、劉備の人気の一つとなっていますが、
諸葛孔明は劉備の優しすぎる面を補う役目も果たしていたようです。

まとめ

今回は劉備と諸葛孔明の出会いについて紹介しました。

劉備と諸葛孔明が出会うことができたのは、

信頼できる部下、友人である徐庶の存在があったからです。

優れた人物と出会うためには、自分の日々の努力と人に信頼してもらうのに必要な能力、

性格などを持ち合わせていることが大切だということが、二人の出会いから想像できます。










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