後北条氏の全盛を築いた
三代目当主・北条氏康。
元亀2年(1571)10月3日、畳の上でその生涯を閉じました。
彼の命を奪ったのは、いったい何だったのでしょうか。
今回は北条氏康の死因や最期の様子について、簡単に紹介していきます。
タップでお好きな項目へ:目次
北条氏康の最期とは?
北条氏康は1570年の8月、病に倒れます。
ではその病とは、何なのでしょう。
死因は中風
氏康の死因は、中風(※)と伝わっています。
※地方によって、読み方が異なります。
中風とは手足がマヒしたり、半身不随になったりする症状のこと。
現代で言うところの「脳卒中」だそうで、いわゆる脳の血管の病気です。
さて、古くから存在する病名にはよく、「風」という字が付いていますよね。
「風邪」「風疹」「痛風」……。
これはかつて、風によって色々な病気が引き起こされると考えていたからです。
中風も悪い風が当たって生じる病気と考えられていたため、風に中(あ)たる、と書くということです。
重篤だった氏康の症状
中風となった氏康。
記録によると、死の直前の症状はかなり深刻でした。
我が子の顔を判別できなかったり、食べ物は指さすだけで食べようとしなかったりといった状態。
さらには武田信玄が伊豆に侵攻してきたということすら、把握できていなかったとされています。
そして一族・家臣らに看取られ、氏康は小田原城で息を引き取りました。
享年57歳。
その亡骸は、箱根湯本にある菩提寺「早雲寺」(※)に葬られました。
※早雲寺には、北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の墓所があります。
きょうのまとめ
今回は北条氏康の最期について、簡単に紹介しました。
② 武田信玄が伊豆に侵攻してきたことすら、把握できないほど重症だった
③ 小田原城で一族たちに看取られて死去。早雲寺に葬られる
こちらのサイトでは他にも、北条氏康にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってください。
その他の人物はこちら
戦国時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【戦国時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
コメントを残す