ヴァザーリとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

16世紀のイタリアで活躍した人物、

ジョルジョ・ヴァザーリ

ヴァザーリと言えば、ルネサンス芸術史を研究するうえで今なお必読の『芸術家列伝』を著したことで有名ですが、彼自身が画家であり優れた建築家でもありました。

ヴァザーリとは一体、どの様な人物だったのでしょうか。

今回はその生涯を辿りながら、彼の遺した功績について見ていきましょう。

 

ヴァザーリはどんな人?

プロフィール

『自画像』
出典:Wikipedia

  • 出身地:イタリア アレッツォ
  • 生年月日:1511年7月30日
  • 死亡年月日:1574年6月27日(享年62歳)
  • マニエリスムの画家、建築家、ルネサンス美術研究家、文筆家。

 

ヴァザーリ 年表

年表

西暦(年齢)

1511年(0歳)イタリアのトスカーナ州東部、アレッツォにて誕生。幼少期よりステンドグラス装飾画家のもとに弟子入りし、絵画の基礎を学ぶ。

1524年(13歳)フィレンツェでアンドレア・デル・サルトや同時代の芸術家達から多くを吸収する。

1529年(18歳)フィレンツェに共同経営の工房を開く。

1531年(20歳)ローマを訪れこの地の芸術的技法を学ぶ。以降フィレンツェとローマを拠点に、ボローニャ、ヴェネツィア、ナポリ、リミニ、ラベンナなどの各地に出向き作品を遺していく。

1550年(39歳)『芸術家列伝』の初版発行。

1554年(43歳)フィレンツェに移住する。

1560年(49歳)フィレンツェ公国政庁(現在のウフィッツィ美術館)の設計と建設を手がける。

1562年(51歳)ピサのサント・ステファノ教会を設計、建設する。

1563年(52歳)「フィレンツェ造形美術アカデミー」創立者の一人に選出される。

1568年(57歳)『芸術家列伝』の加筆改訂された第2版が刊行される。

1569年(58歳)サント・ステファノ教会の完成。

1574年(62歳)フィレンツェにて死去。死の直前まで筆を執っていた。

1584年 フィレンツェ公国政庁の完成(着工から24年、ヴァザーリの死後10年)

 

ヴァザーリの生涯

ここからは早速、ヴァザーリの功績についてご紹介していきます。

画家としてスタート

ヴァザーリが誕生したのは1511年のイタリア、トスカーナ州東部のアレッツォという町でした。

彼は幼少期からステンドグラス装飾画家のもとに弟子入りし、絵画の基礎を学んでいます。

10代前半でフィレンツェに修業に出たヴァザーリは、マニエリスム様式の先駆的存在であったアンドレア・デル・サルト(1486~1530)らに学び、自身もマニエリスム様式を踏襲した画家となっていきました。

マニエリスム絵画の特徴として挙げられるのは、

・誇張された人体のプロポーション

・複雑な人物動作

・鮮やかで冷たく艶のある色彩

等であり、ヴァザーリの作品にもこれらの典型的な特徴が反映されています。

また、ヴァザーリはこのフィレンツェ修業時代に実質的な支配者だったメディチ家の厚い庇護を受け、20歳の頃にはこの一族との縁でローマを訪れます。

彼がそこで目にしたのは、

・ミケランジェロ(1475~1564)

・ラファエロ(1483~1520)

といった偉大な芸術家たちの作品でした。

ヴァザーリは彼らの作風から多くを学び、やがてローマ教皇庁からの信頼を得るようになると、その後もイタリア各地で作品制作を行っていきます。

代表作には、

・ヴェッキオ宮殿の「500人広間」に描かれたフレスコ画

・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の天井画

等が挙げられます。

建築家としての才能

絵画の分野から芸術家としてキャリアをスタートさせたヴァザーリですが、実は現在ではあまりその功績について高く評価されているとは言えません。

むしろ彼は、人生も半ばを過ぎて取り組んだ建築設計の方でその才能を発揮しているのです。

例えばその代表例となるのが、現在のウフィッツィ美術館です。

24年の歳月をかけて完成したこの建築は、当時はフィレンツェの政庁であり、ヴァザーリは文化政策の一環としてメディチ家から依頼を受けて設計しました。

アルノ川の見える3階建てのこの建築は、自然美を取り入れたフィレンツェの傑作的建築物のひとつとして今も位置しています。

さらに、この美術館とピッティ宮殿を結ぶ全長約1㎞に及ぶ廊下は、「ヴァザーリの回廊」という通称で親しまれているのです。

この功績がメディチ家に高く評価されたヴァザーリは、その後ミケランジェロと並び「フィレンツェ造形美術アカデミー」の創立者の一人に選出されています。

1563年に創立したこのアカデミーは、美術史上初めての権威ある学問的研究機関で、後のフランスで創立する芸術アカデミーへと繋がっていきます。

美術史研究の第一人者

パリのルーブル美術館と並び、有名な美術館のひとつであるウフィッツィ美術館を設計したヴァザーリ。

しかしそれ以上に彼の功績として忘れてはならないのが、『芸術家列伝』(原題は『最も有名な画家、彫刻家、建築家列伝』)の執筆です。

1560年に刊行された初版では、チマブーエ(1240~1302)に始まりミケランジェロを頂点に据えた、総勢133人のルネサンス芸術家たちを採り上げています。

ヴァザーリは、自身が画家としてイタリア各地を渡り歩く中で実際の資料を収集し、見聞に基づいてその伝記や画家としての特質をまとめていったのです。

現在ではその信憑性については指摘がありますが、いずれにしてもルネサンス芸術を研究するうえで外せない貴重な文献となっています。

1568年には、自叙伝と初版で抜けていたヴェネツィア派の芸術家達を新たに30人加え、第2版として出版しています。

文才や作品を分析する目利きとしての高い能力はもちろんのこと、美術史を初めて体系的にまとめたという点でも、ヴァザーリはその名を歴史に刻んでいるのです。

 

ヴァザーリにまつわる小話

ここでは、ヴァザーリの人物像についてもう少し見てみましょう。

信頼される人柄

160人以上の芸術家達を調査して本にまとめたことからも想像できるように、ヴァザーリは勤勉でまじめな努力家だったと言われています。

そして、働き者できちんと仕事をやり遂げる姿勢から、多くの人に可愛がられた人物とも言えるでしょう。

彼が初めて弟子入りしたフランス人のステンドグラス画家、グリエルモ・ド・マルシラとの間をつないでくれたのは、従兄弟のルカ・シニョレッリ。

フィレンツェに画家修業に行けたのは、シルヴィオ・パッセリーニ枢機卿の手配によるもの。

その後のヴァザーリは、高名な画家たちに弟子入りしたり親交を結んだりしただけでなく、生涯に渡りメディチ家の人々に仕え重宝されています。

また彼がイタリア各地での仕事に従事できたのは、有力者である枢機卿たちと親交を重ねていたおかげでもありました。

敬愛する師

自身の人柄も相まって多くの協力者を得ていたヴァザーリですが、中でも彼が特に厚い親交を結んでいたのがミケランジェロでした。

修業時代にミケランジェロの作品に出会い、衝撃にも近い感銘を受けたヴァザーリ。

以降弟子として技法を学ぶだけでなく、生涯に渡り彼を崇拝していたことが『芸術家列伝』の中にも見て取れます。

ミケランジェロの葬儀の際には、装具の手配や墓碑の設計もしているのです。

ヴァザーリの家

建築家として優れた手腕を発揮したヴァザーリ。

実は故郷のアレッツォには、自ら設計し内装も手掛けた自宅が残っており、現在では美術館になっています。

典型的なマニエリスム様式の邸宅で、室内の天井画には自身が生涯携わった仕事を示す絵が描かれています。

また、壁には自身の肖像画だけでなく、ミケランジェロの肖像画を飾ってあったりと、ヴァザーリのプライベートが垣間見える空間が広がっています。

 

きょうのまとめ

今回は16世紀のイタリアで活躍したジョルジョ・ヴァザーリについて、その生涯で遺した主な功績を中心にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、ヴァザーリとはどの様な人物だったのか簡単にまとめると

① 16世紀イタリアの画家、建築家、美術史研究家、文筆家。

② ミケランジェロを崇拝し、画家としてはマニエリスムの手法をとった。

③ 著書『芸術家列伝』は、イタリアルネサンス芸術史研究に欠かせない史料である。

ヴァザーリの代表的著作であり、最大の功績とも言える『芸術家列伝』。

日本語訳されたものも出版されているため、現代の私たちも比較的簡単に手に取ることができます。

当時の芸術家達の足跡を辿れるのはもちろんのこと、ヴァザーリ自身の視点で語られる彼らに対しての評価にも注目です。

 

【参考文献】

・ブリタニカオンラインジャパン 大小項目事典「バザーリ」
・水野千依編『西洋の芸術史 造形篇Ⅱ 盛期ルネサンスから十九世紀末まで』藝術学舎/2013年

 
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