ティツィアーノとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

16世紀にイタリアで活躍した画家、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ。

当時では珍しい90年近い生涯で遺した作品は膨大な数で、その功績は後世にも大きな影響を与えました。

ティツィアーノとは一体、どのような人物だったのでしょうか。

今回は、主な功績やエピソードをご紹介しながら、彼の生涯について見ていきましょう。

 

ティツィアーノはどんな人?

プロフィール

自画像, プラド美術館 (1567年頃)
出典:Wikipedia

  • 出身地:イタリア ピエーベ・ディ・カドーレ
  • 生年月日:1488~90年頃
  • 死亡年月日:1576年8月27日(享年88歳)
  • イタリアルネサンス期のヴェネツィア派の画家。

 

ティツィアーノ 年表

年表

西暦(年齢)

1488年~90年(0歳)イタリアのアルプス高地にあるピエーベ・ディ・カドーレで、田舎の村に誕生。

1498年(9歳頃)画家修業のためヴェネツィアに送られる。モザイク画の職人に弟子入りした後、ベッリーニ兄弟に弟子入りする。

1507年(19歳)兄弟子ジョルジョーネのもとで助手として活動する。

1516年(28歳)ヴェネツィア政庁の正式な画家として活動を始める。

1538年(50歳)《ウルビーノのヴィーナス》を制作。

1545年(57歳)ローマを訪れる。

1548年(60歳)ドイツのカール5世の元を訪れる。

1544年(64歳)フェリペ2世との交流を始める。

1564年(80歳)サン・サルヴァトーレ聖堂所蔵の《受胎告知》を制作。

1576年(86歳~88歳)ヴェネツィアで死去。

 

ティツィアーノの生涯

ここからは早速、ティツィアーノの主な功績から生涯を辿っていきましょう。

修業時代

1488年頃、アルプス高地の自然が美しい北イタリアの田舎で誕生したティツィアーノ。

歴史ある一族は代々、軍事や法律に携わる要職に就いていました。

しかし少年時代から芸術の才能を見せていたティツィアーノは、9歳の時にはヴェネツィアに送られ、画家修業のために職人に弟子入りしています。

そしてその後間もなく、ヴェネツィア政庁お抱えだった売れっ子の画家、ベッリーニ兄弟のそれぞれの工房に入門を果たします。

特に弟のジョバンニ・ベッリーニ(1430頃~1516)は、光と色彩の巧な表現により人物に柔らかな表現を与えることに成功。

ヴェネツィア絵画の基礎を築いた人物でした。

残念ながら、ティツィアーノが遺した最初期の作品について正確な記録は多くありません。

しかし少なくとも、1507年に兄弟子のジョルジョーネ(1476/78頃~1510)と共作したヴェネツィアのドイツ人商館でのフレスコ画の断片が、アカデミア美術館に伝えられています。

この兄弟子ジョルジョーネもまた、ヴェネツィア派絵画の形成に貢献した人物でした。

・ベッリーニの柔らかかつ重厚な色彩表現

・レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマート技法(輪郭をぼかす様な表現)

・明暗効果の巧みさ

・想像力を活かした自由な題材

など、ジョルジョーネの助手として20代を過ごしたティツィアーノは、兄弟子の優れた技術と革新的な手法を身近に感じながら自らの作品にもその流れを汲んでいったのです。

特に聖書や神話などの既存の物語に題材を囚われない「ポエジーア(詩想画)」は、当時のローマやフィレンツェには無い発想であり、ティツィアーノは短命だった兄弟子からしっかり引き継いでいます。

華々しい活躍

兄弟子の死後6年ほど経つと今度は師のジョバンニ・ベッリーニが死去し、ティツィアーノはヴェネツィア政庁お抱え画家の地位を引き継ぐことになりました。

それに伴い彼の元には多くの注文が舞い込むようになります。

30歳を目前にしたティツィアーノは、以降生涯に渡り様々なジャンルの作品を精力的に制作していきます。

中でも兄弟子から受け継いだ題材である、全身を描く裸婦像には様々なものがありますが、特に有名なのが《ウルビーノのヴィーナス》(1538年頃)です。

『ウルビーノのヴィーナス』(1538年頃)
ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
出典:Wikipedia

同じ柔らかな白という印象でも、ヴィーナスの肌とその下のリネンとでは、随分と質感に違いがあることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

ヴェネツィア派の絵画を語るうえで度々登場する「色彩」や「質」という単語。

実は、イタリアの中でもローマやフィレンツェでは

「素描(下書き)を基本とした「形状」」

を重視していたのに対し、

ヴェネツィア派の場合は

「色による「質感」」

にこだわっていたのです。

・カンヴァスの凹凸や筆触を活かした効果

・油彩を重ねることで生まれる柔らかでリアルな質感

・インパスト(絵具の厚塗り)による効果

など、様々な探求を重ねる中で、ときには手指を使って色が塗られることもありました。

こうした色による質感の描き分けは、やがて「コロリート」と呼ばれる色彩方法へと発展し、ティツィアーノはまさにその黄金期を支えた人物だったのです。

洗練されたドラマ性

・宗教画

・神話画

・肖像画

・風俗画 etc…

多岐にわたるジャンルで傑作を描いてきたティツィアーノ。

色彩による対象の質感にこだわったティツィアーノの作品は、やがて《受胎告知》(1564年頃)の中に集大成として現れます。

『受胎告知』
1559年 – 1564年頃
サン・サルバドール教会
出典:Wikipedia

80歳を迎えた彼の作風は、若い頃の作品に比べてもさらに輪郭線や明瞭な境目が消え、幾重にも塗り重ねられた複雑な筆致と構図に現れたドラマチックさにより、画面全体に重厚な趣を与えています。

それまでにも多くの画家によって描かれてきた聖書の一場面である「受胎告知」は、大天使と聖母の心理描写を厳かに表すことが主流でした。

しかしティツィアーノのそれには、2人の頭上に天使たちが飛び交い、聖霊を表す鳩がまばゆい光に当てられているのです。

正確な素描や輪郭線ではなく、色彩と全体を包む劇的な表現の追求は、やがて後のバロック様式やロココ様式の芸術へと影響を与えていくこととなりました。

 

ティツィアーノにまつわるエピソード

ここでは、ティツィアーノの人物像をもう少し掘り下げるべく、彼にまつわるエピソードをご紹介します。

革新的ゆえに・・・


素描をほとんどせず、いきなり色を塗り始めるティツィアーノ及びヴェネツィア派の芸術家たち。

デッサンや素描による輪郭を重視していたローマやフィレンツェ出身の芸術家たちには、当然戸惑いや否定的な感情を抱かれることも多くありました。

ルネサンスの芸術家達の伝記『芸術家列伝』を著したヴァザーリによれば、彼らはティツィアーノの作品の前ではひとしきり褒めるけれど、後々

「色彩表現が素晴らしいからこそ基礎がなっていないのが勿体ない」

と言う様な評価を仲間内ではしていたのだとか。

著書のヴァザーリ自身、フィレンツェで主な活躍をしたミケランジェロをべた褒めしている人物であり、ティツィアーノに対してはあまり良い評価をしていないのも興味深いところです。

思わぬ恩恵

自らの天才的な才能により、ほとんど生涯に渡り引っ張りだこだったティツィアーノ。

青年時代の彼の主な後ろ盾はヴェネツィア政庁でしたが、60歳でドイツに訪れた際には神聖ローマ皇帝カール5世に気に入られます。

さらにその後継者であるフェリペ2世までがティツィアーノの有力なパトロンとなったのです。

実はティツィアーノには婚前に授かった2人の息子がいました。

カール5世によって宮廷画家に迎えられた後に伯爵の称号を賜り、それに伴い息子たちを嫡出子(結婚している夫婦に授かった子)とすることができたのでした。

当時は出自による弊害やコンプレックスが様々な問題に関わっていたため、ティツィアーノの画家としての才能は、思わぬところで恩恵に繋がったのです。

 

きょうのまとめ

今回は、イタリアルネサンスの画家ティツィアーノについてご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、ティツィアーノとはどの様な人物だったのか簡単にまとめると

① ルネサンスの後期に活躍したイタリアの画家。

② ヴェネツィア派に属し、筆致による色彩の質感と劇的な構図にこだわった。

③ 長寿にして多作であり、あらゆるジャンルに傑作を遺した。

既に天才ぶりを発揮していた修業時代、多忙にして輝かしい功績を遺した青年~壮年期、洗練さを極めた晩年。

ほぼ1世紀に渡り活躍し続けたティツィアーノの作品は、時代ごと順を追って見ていくことでその変遷を実感できるはずです。

初期と晩年の作など、比較してみるのも面白いですね。

 

【参考文献】
・ブリタニカオンラインジャパン 大項目事典「ティツィアーノ」
・Britannica ACADEMIC -Titian-
・水野千依編『西洋の芸術史 造形篇Ⅱ 盛期ルネサンスから十九世紀末まで』藝術学舎/2013年
・ジョルジョ・ヴァザーリ著/平川祐弘・小谷年司=訳『芸術家列伝2 ボッティチェルリ、ラファエルロほか』白水社/2011年

 
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