上杉景勝を支えた3人の家臣たち

上杉謙信の亡き後、上杉景虎との跡目争いで、

見事その座を勝ち取った上杉景勝はとても寡黙な人物でした。

家臣たちの前でも「 笑った顔を見たことがない 」と言われるほど厳格な人だったようです。

それでも景勝には素晴らしい家臣がたくさんいました。

寡黙な景勝を支え続けた家臣たちにはどんな人がいたのでしょう。

主だった家臣について調べて見ました。

上杉景勝を支えた3人の家臣

 

直江兼続

この人は上杉景勝の1番の家臣としてとても有名ですね。

むしろ主君の景勝よりも逸話が多いと言えるでしょう。

直江兼続は幼い頃から景勝に支え、共に上杉謙信から様々なことを学んでいます。

それが後々景勝を支える上で役立ってきたのでしょう。

上杉家のために、内政や外交面で活躍し、治水事業など領地の改善にも力を尽くしました。

直江兼続で最も有名なエピソードはやはり徳川家康に喧嘩を売った「 直江状 」の一件でしょう。

これに腹を立てた徳川家康は上杉家を謀反の罪で討伐しようと兵を挙げます。

これが会津征伐といわれるものて、あの関ヶ原の戦いに繋がっていくのでした。

とても頭の切れる采配で、上杉家を支えた続けた人物 」です。

最期は景勝の懸命な手当を受けますが、それも甲斐無く60歳でこの世を去りました。

前田利益

前田利益と聞いてもピンとこない人がいるかもしれませんが、

漫画や小説で有名な「 前田慶次 」その人のことです。

前田利家の義理の甥にあたり、前田家に支えていましたが、

1590年前田利家と仲違いをし前田家をでました。

その後京都で浪人生活を送っていましたが、

関ヶ原の戦いの前あたりから上杉家に支えるようになりました。

会津征伐では上杉景勝を逃がすため、

直江兼続らと殿(しんがり)を務め見事にその役目を果たしました。

殿: 軍が退く時、最後尾にあって、追って来る敵を防ぐこと。またその部隊。

小説にもあるように前田慶次は傾奇者で有名だったようです。

それでも「 上杉景勝にだけは一目置いていた 」ようで、

軽々しい振る舞いなどはできなかったそうです。

慶次は上杉家が米沢に移ってからは、和歌や連歌を詠んだといいます。

漫画に描かれているように、腕の強い武者であると共に、

風流を心得た穏やかな人だったのでしょう。

1612年、彼は70数年の人生の幕を閉じたそうです。

平林正恒(ひらはやし まさつね)

彼はもともとは甲斐の武田の家臣でした。

しかし武田家が滅亡した後、上杉家に支えるようになりました。

直江兼続に才覚を認められ、伊達、信夫両群(福島県)の奉行となり、

その後は郡代と奉行の役職を担ったといいます。

郡代: 室町時代から江戸時代にかけての幕府・諸藩に置かれた職名

直江兼続の信頼の置ける部下 」でした。

その証拠に正恒の子孫は代々米沢藩の奉行となっています。

きょうのまとめ

直江兼続をはじめ、有能な家臣を上杉景勝は抱えていました。

それは上杉景勝が寡黙でありながらも、

きちんと家臣に向き合う主君 」であったからだと言えるでしょう。

その家臣たちに支えられて上杉家は幕末まで続いたのでした。










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

9 − 7 =