井伊直政は初陣から大活躍!!

 

徳川家康に仕えるや否や出世街道を駆け上がった

井伊直政(いいなおまさ)は、

勇猛果敢な武将として知られています。

なんと直政は初陣からすごかったのです!

どんな初陣だったのか気になりますよね。

 

大活躍した初陣

井伊直政の初陣とはどんなものだったのか、とても気になります。

では見ていきましょう。

芝原(柴原)の戦い

直政の初陣は「 芝原の戦い(しばはらのたたかい) 」だと言われています。

あまり大きな戦いではなかったため、取り上げられることは少ない戦いですが、

柴原とは横須賀城の北西にあった柴村(柴之郷とも言われる)のことを指していると思われます。

武田勝頼が高天神城(たかてんじんじょう)に、兵糧の補充のために2万もの軍勢で侵攻してきました。

対する徳川軍は8千ほどであったと言います。

家康は、横須賀城と掛川城のどちらを攻められてもすぐに動ける場所に布陣します。

それが柴村だったのです。

この芝原の戦いで直政は、初陣とは思えない勇ましさで先陣を切り、敵味方共に驚かせたと言います。

柴村は故郷の井伊谷(いいのや)から15kmしか離れていない場所です。

つまり良く知った土地だったことも、この活躍を後押ししたのかもしれません。

家康を危機一髪で救う

柴原の戦いの最中に、直政は本陣に詰めていました。

深夜になって家康の寝所に忍び込んだ武田軍の刺客・近藤武助をを討ち取りました。

後に「 寝所に忍び込んだ 」というのは逸話で、正確には「 寝所近くまで忍び込んだ

刺客を討ち取った、ということらしいのですが、

どちらにせよあっぱれな働きであることには変わりありません。

家康が急死に一生を得たことは事実です。

もしここで家康が刺客に殺されていたら、大きく歴史は変わっていました。

265年間続く江戸幕府は存在しなかったわけですから、本当に大活躍です。

この活躍により直政は、家康から3000石を賜ります。

それまでの直政は300石だったと言いますから、一夜にして大出世ですね。

家康からすれば命を助けられたわけですから、当然と言えば当然です。

突き掛かり戦法

直政は「 突き掛かり戦法 」を得意としていました。

突き掛かり戦法とは、敵陣に対して真っ向から切り込む戦法です。

初陣も先陣を切って敵と戦っていることから、真っ向勝負で功績を上げたのだろうと推測できます。

直政は初陣以来、突き掛かり戦法を主な戦法とし16回出陣していますが、一度も負けたことがありません。

しかし「 突き掛かり戦法 」は、最前線でひたすらに敵陣に突っ込み、敵の陣形を崩し混乱させる戦法ですから、直政は生傷が絶えなかったと言います。

同じく徳川家の重臣であった本多忠勝は、生涯の戦で傷一つ負わなかったとされています。

まったく真逆の2人が、同じ徳川四天王と言われているのもおもしろい所です。

 

きょうのまとめ

井伊直政の初陣についてご紹介しました。

いかがでしたか?

徳川四天王にまで登り詰める大出世は、初陣から始まっていたんですね。

 

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