戦国の争乱を天下統一という形で収めた、
豊臣秀吉。
その家紋がどのようなものだったか知っているでしょうか?
そんなマニアックなもの知らないよと思う人も多いのでは。
でも実は、かなりの頻度で普段目にしているかもしれないのです。
秀吉がその家紋をなぜ用いたのか、理由と意味を見ていきましょう。
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秀吉が用いた家紋
秀吉は、武士の身分となり、木下藤吉郎を名乗ってから
「立ち沢瀉」という家紋を使用します。
その後、羽柴秀吉と改名してから織田信長から拝領した
「瓢箪紋」や「五三桐紋」
を用いるようになっていきます。
桐紋
出世と共に変遷を経て、なぜ桐紋に行き着くのでしょう?
もともと桐紋は、
天皇家の正式な家紋である菊花紋の替え紋として使用されてきた家紋です。
替え紋とは、正式な紋(定紋)に替えて用いる、略式または装飾の紋で、裏紋とか副紋とも呼ばれています。
武士が台頭し、公家から武家に政治の実権が移行していく時代。
土地や財貨が乏しくなっていった皇室は、この「紋」という権威を利用します。
皇室の替え紋である桐紋を、由緒正しき高貴な身分のものから下賜することで、
成り上がりの武家の栄誉欲をくすぐり、同時に自らの権威も保っていくのです。
そういう意味で、武士にとっての家柄を表す家紋の最終到達点は桐紋であったということができます。
五七桐
桐紋には140種以上の図案があるといわれています。
基本的な図案は、「3本の直立する花序」と「3枚の葉」で構成されているものです。
その花序につく花の数で、「3-5-3」で構成されるものが「五三桐」。
「5-7-7」で構成されるものが「五七桐」と呼称され、代表的な桐紋となっています。
桐紋の中でも家格を表す最高ランクであるのが「五七桐」です。
豊臣と五七桐
豊臣という氏を、天皇から正式に下賜されてから、
秀吉は「五七桐」を使うようになります。
事実上の最高権力を握ったのですから、自分で勝手に紋を作って、
これからはこれが最も高貴なんだと宣言してしまえばよいのにと思ってしまいますが。
下賜されることにこだわるのは?
絶大な力で実権を握っても、時の後陽成天皇から正式に下賜されるという形式にこだわります。
それは、皇室が絶対的に高貴な血統ということを強く重んじているという事です。
勝手に自分が一番なんだといい始めてしまうと、逆に権威がなくなってしまうので、
皇室という聖域を保つことによって、
権威付けが確実になることを時の権力者は知っていたのでしょう。
正式に「五七桐」を使用できることになった秀吉は、一族や家臣に桐紋を与えていきます。
そして桐紋が広がることにより権威がなくなることを防ぐため、
自分だけが用いることのできる桐紋「太閤桐」を考案したのです。
きょうのまとめ
豊臣秀吉の用いた家紋とその意味を見てきましたが、いかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
① 家紋とは権力を有するものとしてのわかりやすいシンボル
② 出世と共に使う家紋が変えていった
③ 家格を表す最高ランクと言われる「五七桐」に行き着く
④ 権威を保つため、皇室から下賜されるという形にこだわる
と言えるのではないでしょうか。
家紋が持つ意味は、奥深いものがあります。
この機会に、自分の家に代々受け継がれている家紋を調べてみるのもいいかもしれません。
ちなみに、身近なところで桐の絵柄が使われているのが、500円硬貨の表面です。
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