戦国時代の身分制度では、最下層といえる貧しい農民から立身出世し、
天下人にまで上り詰めた
豊臣秀吉。
その生涯の幕を閉じた死因は何だったのでしょうか?
非常に気になるところです。
今回は、秀吉の死因についてみていきたいと思います。
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秀吉の死因についての憶測
秀吉の死因については、様々な憶測が論じられているのですが、主要なものを次にあげてみましょう。
死因は天ぷらの食べ過ぎ?
天ぷらが大好物で、食べ過ぎが死の原因だったと語られたりするのですが、
それは徳川家康で、豊臣秀吉の死因についてはよくわかっていません。
消化器系の癌
食欲不振、急激な痩せ細りという状況から、
胃や大腸などの癌だったのではないかという説があります。
当時においては、長寿と言われる年齢に達していた秀吉が、体力の衰えと共に癌に侵されるというのは、考えられる死因としては有力です。
脚気
天下人となった秀吉が、偏った食事によって脚気になり、悪化して心不全を起こしたという説があります。
後に「江戸わずらい」と言われる「脚気」は、精米して白米を食べる習慣が定着した江戸において多発することになる病です。
それは、雑穀や米ぬかを取り除くことで、そこに含まれていたビタミンB1が不足しおこります。
秀吉の死因として挙げられるのもわかります。
その他の死因
上記以外でも、加齢による認知症や、脳梅毒、尿毒症。
さまざまな説があるのですが、やはり憶測の域を出ないのが本当のところです。
秀吉の本当の死因
秀吉の晩年は、1598年3月に花見の会を盛大に催した後、秀吉は体調を崩して床に臥すようになります。
その後下痢や腹痛など、さまざまな症状に悩まされ、一気に体力は衰えていったようです。
そして8月18日に永眠、享年62歳でした。
秀吉の死因については、はっきりと書かれた文献が残っていません。
さまざまな要素を総合してみて考えてみると、やはり加齢による老衰というのが最も大きな要因ではないでしょうか。
最下層の農民という身分から、天下人にまで上り詰める過程では他の人には想像もできない苦労があったでしょう。
体力的のみならず精神的にも重ねてきたその労苦は、年齢を重ねるとともに秀吉の体を蝕んでいったのは間違いありません。
きょうのまとめ
天ぷらの食べ過ぎが原因だったというのは、
徳川家康の死因で言われる説で秀吉のものではありません。
秀吉の死因の説について、簡単にまとめると
① 消化器系の癌?
② 脚気による心不全?
③ 認知症?脳梅毒?尿毒症?
④ 老衰?詳しくは分かっていない
と言えるのではないでしょうか。
豊臣秀吉については、他にも色々な記事を書いています。
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