大岡忠相の二つの墓

 

ドラマなどで大岡越前として有名な大岡忠相(ただすけ)。

そのお墓は二か所知られております。

ひとつは神奈川県茅ヶ崎(ちがさき)の浄見寺(じょうけんじ)。

もうひとつは東京都谷中(やなか)の瑞輪寺(ずいりんじ)。

今回はちょっと旅行気分で彼の夢の後をのぞいてみましょう。

茅ヶ崎の浄見寺~徳川家康と大岡氏の固いきずな~

今、茅ヶ崎と言えば「 サザンオールスターズ 」などのちょっとおしゃれな街のイメージです。

海辺に開けた白いビーチも有名ですね。

大岡忠相の墓のある浄見寺はそれよりは少し離れた静かな山あいにあります。

名物オハツキイチョウは樹齢200年。

立派な大樹。

こりゃ、秋は黄金に色づいたいっぱいの葉々で。

見ものですな……。

春は桜が競い咲きますよ。

大岡氏と徳川家康の「 関東移封 」

ここに大岡氏がやってきたのは、

あの彼らの大ヒーロー神君家康様が天下大泥棒(徳川史観)豊臣秀吉に

「 君、関東に行っちゃってくれてもいいよね。ん?文句あんの? 」

と難癖(なんくせ)をつけられた、

あの
「 関東移封 」
に由来します。

主君家臣一同皆して、自分たちのはるか先祖から生まれ育ち、切り取ってきた東海を泣く泣く離れて移り住んでいったんですよ。

そこで、

家「 大岡君。君、これまでありがとね。うん、めっちゃ感謝してる 」

家「 君んとこの一族、俺の戦争に付き合ってくれたせいで命までなくしちゃってるよね 」

家「 つうか、身内同士で激しくやりあった三河の一向一揆との戦いの時も。
信玄にぼこぼこにやられて俺が馬上でう〇こもらして逃げた三方ヶ原の時も(実話)。
信長が派手に鉄砲をぶっ放した長篠の時も。
君らの陰ながらの活躍ちゃんと見てたから 」

と、言ったかどうか知りませんが、
大岡氏にこの相模国高座郡(さがみこくこうざぐん)から領地として与えたのです。

そして、大岡氏はここに浄見寺を建て、一族の菩提寺(ぼだいじ)としたのでした。

ここには大岡家代々の墓が並んでおります。

ただ、やはり大岡忠相の墓がひときわ大きいです。

茅ヶ崎に春到来なら!!大岡越前祭

毎年春になると、茅ヶ崎では「 大岡越前祭 」を、市を挙げて盛大に開催しております。

バトントワリングにマーチングバンド、看板娘の「 スマイル茅ヶ崎 」の皆さん、列をなす勇壮なお神輿(みこし)、

そして、
侍行列、腰元行列、馬上の大岡越前さん、など。
毎年、それはそれは意をこらし、バリエーションに富んだ仮装行列。

ここでは本当に大岡忠相が町のヒーローなんですね。

瑞輪寺

谷中にある瑞輪寺は徳川家康が創建させた寺です。

ここには江戸の町に「 神田上水 」を通したという大久保主水(もんと)の墓もあります。

本当なら「 もんど 」と読むのですが、
家康が
「 水はにごっちゃだめだろ 」

ということで「 もんと 」としたようです。

ここは大岡家だけでなく、あの「 六文銭 」でおなじみの真田家も菩提寺にしているようですね。

ちなみに、すぐ近くにあの上野の寛永寺があります。

きょうのまとめ

いかがだったでしょうか。
歴史というものは、「 観光 」そして、それを思う「 人々の心 」にもつながってきますね。

どこに行っても「 おらが町の 」英雄というのはいるもの。

茅ヶ崎では今なおもって大岡忠相の人気ぶりは計り知れません。

でも、瑞輪寺のように”どこかひっそり”というのもファンの心をくすぐるものがあります。

① 大岡忠相の墓は茅ヶ崎の浄見寺と、東京谷中の瑞輪寺の二か所ある。

② 浄見寺は徳川家康の関東移封にともなったもの。今も忠相は地元茅ケ崎で絶大な人気がある。

③ 瑞輪寺は徳川家康が創建させたもの。ほかにも歴史にゆかりある人々の眠る墓も多い。

歴史というものはこうやって資料を見るだけのものではありません。
自分の体をフル活用して、
「 歩く 」「 見る 」「 聞く 」「 嗅ぐ 」「 味わう 」「 感じる 」
ことでしか得られないものがあります。

ぜひ、今度の休み、
「 歴史を体験しにちょっと足をのばしてみる 」
というのはいかがですか。










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