品行方正で人格者でもあり、忠義に厚い武将として徳川家康にも絶賛された戦国武将
立花宗茂です。
関ヶ原の戦いでは西軍につき、敗戦後に改易されましたが後に大名として復帰します。
今回は宗茂が使った、少し変わったデザインの家紋についてご紹介したいと思います。
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立花宗茂の家紋について
立花宗茂のちょっとかっこいい家紋について見ていきましょう。
立花宗茂の家紋
立花宗茂が使用した家紋は祇園守紋と言います。
旧祇園大社、現在の八坂神社が配布したお守りがモチーフとなった家紋だと言われています。
銀杏の葉がベースとなっており、中央で巻物が交差する珍しいデザインとなっています。
巻物は元々はお札だったものが、筒になり後に巻物に変化したと言われています。
日本の家紋なのに、どこか西洋風のかっこいい家紋ですね。
宗茂は、祇園守紋を定紋として、
・扇祇園守紋
・札祇園守紋
の合計6種類の祇園守紋を使用していたことが分かっています。
宗茂の肖像画にはくずし祇園守紋が使われています。
キリシタンの証し?
祇園守紋は中央で巻物が交差しています。
この形が、クロス(十字架)を表しているのではないかという説があります。
豊臣秀吉のバテレン追放令でキリスト教が禁止されていたため、隠れキリシタンがこの家紋を使っていたのではないかというのです。
実際にキリシタン大名と言われる小西行長が使用した家紋は、中結祇園守という家紋で、祇園守紋とよく似ています。
立花宗茂がキリシタンだったという文献はありませんが、主君であった大友宗麟は有名なキリシタン大名です。
忠義に厚い宗茂が何らかの形でキリスト教にかかわっていてもおかしくはありません。
夢のお告げ
祇園守紋の由来は立花宗茂が、「夢の中で祇園大社のお告げを受け、扇子の上に祇園守を載せたる様を図案化したもの」だと言われています。
真実かどうかは分かりませんが、立花家で使われていた祇園守紋の当初の形は確かに扇子の形が見て取れる扇祇園守紋です。
夢のお告げかどうかは別としても、扇子の上に祇園守を載せたる様というのは本当のようです。
藩主所用の黒漆小箪笥には、この扇祇園守紋が使われていることから、扇祇園守紋も立花家の中ではよく使われる家紋だったと想像できます。
きょうのまとめ
立花宗茂の家紋について、ご紹介しましたがいかがでしたか?
どことなく洋風でかっこいい祇園守紋ですが、実はとても深い意味がある家紋だということが分かりました。
しかも6種類もの祇園守紋を使っていたなんて、よほどこの家紋に思い入れがあったのでしょうね。
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