かつての日本の都といえば、京都や奈良を思い浮かべがちです。
しかし現在の大阪府や滋賀県にも、都が置かれたことがありました。
東大寺に大仏を造ったことでも有名な
聖武天皇が、
わずか5年間で3つも新しい都を造っていたのです。
今回は聖武天皇が遷都した場所と、その理由について見ていきます。
タップでお好きな項目へ:目次
遷都の順番
740年に起こった、藤原広嗣の乱に衝撃を受けた聖武天皇。
伊勢行幸をきっかけに平城京を抜け出し、矢継ぎ早の遷都が始まりました。
恭仁京
まず聖武天皇が遷都したのは、恭仁京です。
恭仁京は正式には大養徳恭仁大宮といいます。
現在の京都府木津川市加茂町に置かれました。
この地を訪れた聖武天皇が、突然遷都の宣言をしたといわれています。
恭仁京が都だったのは、740年12月から744年2月というわずか4年間。
ですがこの時代に聖武天皇は、
- 国分寺建立の詔(=国ごとに国家の平安を祈る寺・尼寺を建てる)
- 大仏建立の詔(=廬舎那仏の大仏を造る)
- 墾田永年私財法の発布(=開墾した土地の永久私有を認める)
といった、歴史的な施策を発しています。
ですが都の造営のほうはうまくいかず、途中で造営中止となっています。
これは恭仁京と同時に紫香楽宮も造っており、費用がかさんだためだそうです。
そして恭仁京は未完のまま、都は次の難波宮へと遷されました。
<京都府木津川市加茂町>
難波宮
744年2月、都は難波宮に遷ります。
難波宮は現在の大阪市中央区に置かれました。
詳しい方はご存じかと思いますが、乙巳の変のあと、孝徳天皇が造った都である難波長柄豊碕宮と同じ場所にあったとされています。
<難波長柄豊碕宮>
聖武天皇は726年にも難波宮を平城京の副都とするべく、造営を命じていました。
しかし難波宮は恭仁京より短命で、都が置かれた期間は1年もありませんでした。
紫香楽宮
745年の正月、都は難波宮から紫香楽宮へと遷ります。
紫香楽宮は、現在の滋賀県甲賀市信楽町に置かれました。
先ほども少し触れましたが、都が恭仁京にあったときから、
この地に聖武天皇は離宮を造っていたのです。
当初は大仏が建立される予定地でもあった紫香楽宮。
しかし火災や地震が相次ぎ、745年5月には再び都は平城京に遷されました。
わずか4カ月ほど日本の首都だった紫香楽宮は、まさに幻の都といえますね。
<滋賀県甲賀市信楽町>
遷都を繰り返した理由
さて、短期間でこれだけ遷都を繰り返した聖武天皇は、どうかしてると思いませんか?
都を遷すには莫大な費用が必要となります。
そして度重なる遷都の結果、国家財政は乱れました。
それでも聖武天皇が遷都をした理由は、一体なんだったのでしょうか。
諸説あるが理由は不明
実は、明確な理由がわかっていないのです。
聖武天皇が繰り返した遷都は、古代史最大の謎の一つとされています。
考えられる説としては、
- 疫病や反乱からの逃亡
- 有力氏族(藤原氏・橘氏)間の政権抗争
- 壬申の乱における大海人皇子の行軍を追体験させ、国家の緊急事態であることを実感させようとした
- 複都構想(以下で詳しく説明)
などがあるようです。
唐に倣って複都制を実現しようとした?
個人的におもしろい、と思ったのは一番最後の複都構想。
複都制というのは、都をいくつか造り、それぞれに役割を持たせるというものです。
- 恭仁京→流通の拠点(木津川沿いであることから)
- 難波宮→外交・貿易の拠点(海に面していることから)
- 紫香楽宮→仏都(廬舎那仏の建立)
当時存在した唐(現在の中国)でも複都制が取られており、
それにならったものと考えられています。
この説ならば、恭仁京と同時に紫香楽宮を造っていたこと、
さらに遷都の20年前に難波宮を造営していたこととも合点がいきます。
さて、一体真実は何なのでしょうか。
それが明らかになる日も、もしかしたら近いかもしれませんね。
きょうのまとめ
今回は聖武天皇が行った遷都について、簡単に紹介しました。
② 聖武天皇が遷都を繰り返した理由は、古代史最大の謎の一つとなっている
③ 複都制を目指していたという説がある
こちらのサイトでは他にも、聖武天皇にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
聖武天皇の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「聖武天皇とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」
その他の人物はこちら
鎌倉時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【奈良時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
大仏建立の詔が出されたのは紫香楽宮ではないでしょうか?
ご指摘ありがとうございます!
確かに、大仏建立の詔が出された場所は、紫香楽宮ですね。
当該箇所の前の記述を、下記のように修正させて頂きました。
(変更前)
ですがこの地で聖武天皇は、
(変更後)
ですがこの時代に聖武天皇は、