始皇帝の墓の内部の秘密は?

 

秦の初代皇帝である始皇帝については、

高校生のときに世界史の授業で学習した方も多いのではないでしょうか。

中国を始めて統一し、思想や文字、貨幣、度量衡の統制、中央集権制度の確立など、

あらゆる面で権力をふるっていた始皇帝ですが、彼にまつわるもので特に有名なものが、その墓です。

今回は始皇帝の墓とその内部について分かっていること、伝説をまとめていきます。

始皇帝の墓について

始皇帝の墓の概略

始皇帝は皇位に就いてすぐに自分の墓の建設にとりかかったと言われています。

墓の設計を担当したのは当時の宰相であった李斯(りし)で、章邯(しょうかん)という人物が建設を監督し、39年の年月を費やして造られました。

秦の人口は始皇帝の統率時には約2000万人とされており、そのうち約72万人が墓の建設に携わったという記録が残っています。

始皇帝の墓は、1974年に地元の住民により発見されました。

その大きさは2万㎡にもおよび、当時の始皇帝の権力の強さをうかがわせるもので、中国史上で最も規模が大きく、完全な形で残っている墓です。

墓の副葬坑からは、兵馬俑(へいばよう)として知られている俑が約8000体、車馬が約500頭、戦車が約100台、青銅兵器は数万点も発掘されています。

兵馬俑は始皇帝を永遠に守るために副葬されたものとされており、すべての俑が東を向いています。

兵馬俑は中国史の研究上、当時の服装や民族構成などを知るためにもとても重要なもので、1979年には兵馬俑坑博物館も建設されました。

さらに、兵馬俑からは始皇帝の思想なども分かります。

墓の内部

二重の土壁で囲まれた始皇帝の墓の内部は、史記には珍しい宝物で満たされており、水銀を流して川や海を再現していたなどという記録が残っています。

しかし、中国では始皇帝の墓を発掘することは禁じられているため、実際にはまだ分かっていないことが多いのです。

近年赤外線や電磁波、磁気を用いた調査が墓の内部で行われた結果、謎の楼閣が発見されました。

その楼閣の高さは30m以上で、構造は9層の階段状になっています。

史記に登場する水銀の川や海に関しては、実際にはそこまで広大なものがあったかは分かっていません。

墓の内部には水銀が蒸発した後が残されており、何らかの形で墓の内部に水銀が使われていたという事実は認められています。

始皇帝の墓にまつわる伝説

殉死を強要された遺体

史記には、始皇帝の後を継いだ胡亥(こがい)が始皇帝の息子12人、娘10人を殺害したという記述があります。

始皇帝は殉死を禁じていたという記述もあります。

しかし胡亥は始皇帝の後継者が権力を持つことを恐れていました。

皇族だけで22人も殉死させられているのであれば、一般の人々はもっと殉死を強要されたのではないかとも言われています。

皇族、一般の人々をまとめたら、数百人規模で殉死が行われたという伝説もあります。

水銀と始皇帝の関係

1-2でも少々紹介しましたが、始皇帝の墓の内部には水銀が存在した後があります。

始皇帝は永遠の命を求めていて、永遠の命について部下に命じて沢山研究していたとされています。

そのため、始皇帝は水銀を永遠の命の薬と誤解して、水銀を飲んでいてそのために水銀中毒になってしまったという伝説もあります。

今日のまとめ

いかがでしたか?

今回は始皇帝の墓のことについて紹介しました。

残念なことに、副葬品を保存するため、その他の建造物の現状維持のために、始皇帝の墓の内部に関しては大規模な調査は行われていません。

そのため、始皇帝の墓の内部にはまだ謎がたくさん残されており、多くの伝説も存在しています。

分からないことも多いですが、兵馬俑などすでに発掘されているものからも始皇帝の権力の大きさや、当時の中国の技術の高さなどを知ることができます。

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