劉邦のお嫁さんはどんな人?

 

温和な人柄で人望が厚く、

数多くの有能な部下を率いて初代漢王になった劉邦(りゅうほう)。

彼のお嫁さんについて、聞いたことはありますか?

呂雉(りょち)は中国三大悪女とも評されているほど、ものすごい女性だったようです。

特に劉邦が死んでしまってからの残虐な行動は、歴史書に今でも残っています。

今回は、初代漢王である劉邦のお嫁さん、呂雉について調べたことと伝説をまとめてみました。

呂雉の生い立ち

呂雉は、単父(中華人民共和国山東省菏沢市に位置する現在の単県の古名)の有力者である呂公の娘として生まれます。

劉邦は当時その土地で宿場役人を務めていました。

彼が呂公の酒宴に訪れた際、酒宴を仕切っていた蕭何(しょうか)に対して「 進物一万銭 」と書いた紙を渡したため、その紙を見た呂公は感心し、妻の反対を押し切って呂雉を劉邦に嫁がせました。

呂雉は劉邦との間に一男一女をもうけ、劉邦を支えながら子育てに励みます。

劉邦が漢王になって呂雉が皇后になった後も、まだ国内の混乱がおさまらず、劉邦は自ら内乱を平定しに行くことがありました。

その際に呂雉は、劉邦の賢臣たちの力を借りて、宮中の状勢安定のために尽力したとされているのです。

良いお嫁さんですね。

しかし劉邦がなくなってしまった後、なぜか彼女がした残虐な行為に関する記録が増えていきます。

実は怖かった呂雉

劉邦が生きていた頃には妻として子育てや宮中の状勢安定など、夫を支えるために沢山の努力をしていた呂雉ですが、

劉邦の死後は豹変(ひょうへん)してしまい、現在では中国の三代悪女としても知られるようになってしまいました。

夫のために努力していた呂雉が、なぜ中国の三大悪女とまで呼ばれるようになってしまったのでしょうか。

ここからは呂雉の怖いエピソードをいくつか紹介していきます。

賢臣や側室をどんどん殺害する

彼女は賢臣として知られていた劉邦の部下や、自分のライバルになり得る側室の女性たちをどんどん殺害します。

特に、威夫人(せきふじん)という女性に対しては

両手両足を切り落とした上で目玉をくりぬき、さらに薬で耳・声を潰し、その後彼女を便所に置いて人豚と呼ばせ、それを笑い転げながら見ていた

という、ものすごく残酷な処遇をしたという記録が残っています。

自分の母親である呂雉の変わりぶりに驚き、ショックを受けた恵帝は、政務を放棄した上で酒に溺れ、若くして死んでしまいました。

自分の親族に権力を集中させる

自分の息子はせっかく皇帝になったのに政務をしなくなって、酒に溺れて死亡(原因は呂雉の残虐な行為ですが)してしまいます。

沢山の殺戮(さつりく)行為をしていた呂雉は、劉邦の賢臣たちに対しても疑いの念をいつも持っていました。

気に入らないことがあったり、少し不安なことがあれば、謀反の疑いをかけてすぐに処刑してしまいます。

呂雉が無茶苦茶な行動をとるので、劉邦の部下たちはだんだん自分の意見を言わなくなってしまうのです。

さらに、呂雉に殺されないように仕事もしなくなってしまいます。

結果として呂雉の一族が強い権力を持つようになり、彼女は政治の腐敗を進めてしまうのです。

きょうのまとめ

最初は夫を頑張って支える良いお嫁さんだった呂雉。

しかし自分が大きな権力を持つと態度が豹変し、残酷な支配者になってしまいました。

劉邦の賢臣として知られていた部下達は意見を言わなくなります。

自分の親族ばかりに権力を与えてしまった呂雉は、結果的に自分の夫が頑張って築き上げた国の混乱を招いてしまいます。

彼女は病気になったとき「、劉邦の部下たちの行動に気を付けて。」という言葉を自分の子どもたちにして亡くなったそうです。

良いお嫁さんから残忍な支配者へと変わってしまった呂雉の人生からは、

「 権力を持ったとしても、周りの人たちの意見を聞き入れることの大切さを忘れてはいけない。 」という教訓を学ぶことができます。










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