坂本龍馬といえば、有名な写真がありますよね。
腰に短刀を差して、左の方向(本人から見て右)を向いて立っている写真です。
一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。
非常に有名な写真ですが、実は少し違和感があるのです。
というのも本来、刀は袴の中に差すものです。
普通に差していたら刀の半分は見えないはずなのに、全体が見えています。
あえて龍馬は、刀の全体が見えるよう写真を撮ったそうです。
龍馬の刀へのこだわりが伝わってきますね。
坂本龍馬は刀のコレクターで、数十本の刀を持っていたといわれています。
そこで今回はその中でも有名な三本の刀の名前と、
それにまつわるエピソードをご紹介します。
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父からもらった脇差
坂本龍馬は、土佐の郷士の家に生まれました。
藩に仕えた武士のことを藩士といいますが、藩士はいくつもの身分に分けられていました。
郷士というのは下級の武士です。
当時の土佐藩は、身分差別の激しい藩として知られていました。
龍馬は郷士だがお金持ちの家に生まれた
坂本家はもともと武士ではなく、豪商の分家でした。
豪商というのは簡単に言うと、非常に裕福なの商人のことです。
そこで坂本家では郷士の身分を買って、武士となったのです。
そのため下級の武士とはいっても、普通の武士たちよりも裕福でした。
坂本家のほかにも、豪農や豪商出身の郷士たちがいました。
財力をもち、民衆の暮らしに詳しい郷士たちは、次第に藩政治の中枢への関わりを望みます。
藩主だった山内容堂も身分制度改革を行います。
これにより、家柄ではなく実力によって出世できる可能性が出てきたのです。
龍馬が剣術を目指した意外なきっかけ
そんな時代ということもあり、龍馬は12歳にして剣術道場に送られます。
実はその前には儒教を学ばせるため、龍馬は私塾に入れられました。
しかし意外にも不向きだったのか、退塾させられたそうです。
学問で結果が出なかった龍馬を、父は日根野道場へ通わせることにしたのです。
その頃、父が龍馬に送った刀が「備前長船」という名刀です。
こちらの刀は、室町時代の名工であった勝光・宗光の合作といわれています。
19歳になった龍馬はさらに剣術を極めるため、江戸へ修行へ出ることになります。
そして江戸という地で、龍馬は黒船を目の当たりにし、
過激な尊王攘夷の思想に触れることとなるのでした。
尊皇攘夷とは、天皇や皇室を尊敬しようという考え(=尊皇思想)と外国人を追い払おうという考え(=攘夷思想)とが結びついた思想です。
この尊皇攘夷という思想は、265年も続いた江戸幕府を倒す原動力となりました。
もし龍馬が儒教が得意だったとしたら、日本の歴史はまた変わっていたかもしれませんよね。
海援隊のシンボル・土佐の赤ざや
二本目の刀は
江戸初期の名工「埋忠明寿」の刀です。
この刀には、「土佐の赤ざや」とも言われているさやが残されています。
海援隊を結成した頃に手に入れたと考えられています。
海援隊とは、龍馬などが中心となって結成された貿易結社です。
そして赤いさやというのは、海援隊士のシンボルだったそうです。
そのため、龍馬のふるさと土佐への思いが詰まった刀と言われています。
兄からもらった坂本家の家宝
次第に龍馬は、幕府に大政奉還をさせるべく奔走します。
大政奉還とは、幕府から朝廷へ政権を返上することです。
それは265年も続いた江戸幕府が終わることを意味します。
後の時代を生きている私たちは、それが上手くいったことを知っています。
ですが、そんな大きな変化をこれから迎える龍馬にとっては、並々ならぬ決意が必要になってくることが想像できますよね。
大政奉還の前年、龍馬は兄の権平に手紙を送ります。
その内容を簡単にまとめると、
というものでした。
そこで龍馬の兄は「陸奥守吉行」という、
土佐を代表する名工の作で、坂本家の家宝を与えました。
龍馬にとっては歴史上、
誰も成し遂げていないことに臨む自分を支えてくれる刀だったのでしょう。
龍馬は暗殺されたときも、この刀を持っていたといいます。
きょうのまとめ
以上、龍馬の愛した三本の刀についてご紹介しました。
龍馬の残した三本の刀は、
① 幼い頃父親からもらった「備前長船」
② 海援隊結成時に入手した「埋忠明寿」
③ 国難に臨む龍馬の心の支えとなった「陸奥守吉行」
です。
これら三本の刀は、そろって公開されることがあります。
興味のある方は調べてみてくださいね!
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