下克上のためには手段を選ばなかったとされる、
戦国武将・斎藤道三。
日本史上有数の「悪人」の一人と言われています。
諸説ありますが、並大抵の人物でないことは間違いありません。
また、織田信長が時には残虐非情なことを実行したのは、よく知られる事実です。
そして、ある時何かが爆発したかのように、主君である信長を討ったのは明智光秀でしたね。
同時代に生きた彼らは、皆濃いキャラクターの持ち主ですが、それぞれ無関係ではありません。
むしろ、影響しあっていたのです。
斎藤道三も登場する明智光秀が主役の「麒麟がくる」がはじまりますね。
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下克上の代名詞・マムシの斎藤道三のやり方
斎藤道三は、自分のステップアップのためには、恩人も主君も犠牲にして地位を築き上げていきました。
2. 賴芸の信任を一身に受けるために道三は、賴芸の重臣であり、恩人である長井長弘を排除。長井家を乗っ取って跡目を継いだ
3. 美女を与えて賴芸を籠絡し、賴芸の弟を毒殺。それが契機で対立した主君の賴芸や彼の子を美濃国から追放
4. 美濃国主となった
道三の生涯は不明部分も多いですが、僧侶だった道三が美濃国を手にするには、かなりの荒技が必要だったことは、想像に難くありません。
マムシと呼ばれるだけの人物ではあります。
斎藤道三と明智光秀や織田信長との関係
では、このマムシ・斎藤道三は、明智光秀や織田信長にどのような影響を与えたのでしょうか
道三、三成、信長3者の関係
斎藤道三には、1532年に迎えた小見の方という正室がありました。
ここで道三と明智光秀との関係が生まれます。
この小見の方とは、明智光秀の叔母だったのです。
光秀の父親・光綱の妹というのが小見の方でした。
つまり甥っ子と叔母さんの関係というわけです。
のち、道三と小見の方とのあいだに帰蝶(のちの濃姫)という娘が生まれ、彼女は信長の妻になりました。
そのため、道三と信長が義父と娘婿という関係が生まれます。
そして、帰蝶と光秀は従兄妹同士となり、明智光秀と織田信長の間にも繋がりができました。
直接血は繋がってはいないものの、戦国時代によくある政略的な婚姻関係によって繋がった3人は「親戚同士」となっていたのです。
明智光秀が浪人になったのは道三のせい?
明智光秀にとって斎藤道三はただの親戚以上の影響があり、彼の人生を左右する存在でした。
斎藤道三は側室・深芳野が生んだ長男・義龍よりも小見の方が生んだとされる次男と三男の孫四郎や喜平次を可愛がります。
それが原因で道三と息子・義龍との関係は悪化しました。
1556年に義龍は道三に対して挙兵します(長良川の戦い)。
その時点で既に美濃国の国主の地位は父・道三から息子・義龍に移っていましたから、兵は義龍のほうに集まりました。
道三は乏しい兵で戦うことになったのです。
状況は道三に不利でしたが、彼の妻の甥である明智光秀は、道三の味方につかざるを得ないことになりました。
しかし敗戦して道三は討取られ、光秀も道三との親族関係があったばかりに美濃から逃亡し、浪人となりました。
つまり、明智光秀が一時期浪人することになったのは、道三の影響があったからなのです。
道三のおかげで光秀は信長に重用された?
のち、明智光秀は足利義昭に仕えることとなりました。
そして、義昭を将軍にするために東奔西走するうち、光秀は義昭の命令で織田信長と出会ったのです。
その時すでに信長は、道三の孫である斎藤龍興を攻め滅ぼして美濃国を吸収していました。
光秀はもともと美濃の豪族衆とも繋がりがありましたから、彼は信長と義昭の間での交渉事をスムーズに進行させることができたのです。
やがて足利義昭は、当時の実力者・信長に頼って将軍の地位に就くこととなりました。
そして忘れてならないのは、信長の妻は、光秀の従妹である帰蝶だったということ。
明智光秀はさらに信長と深く関わっていくようになりました。
信長と直接血が繋がってはいないものの、彼の正室の従兄である光秀が信頼されやすい立場にあったことは事実です。
やがて信長の元で働くようになった光秀は、信長の重臣としての地位を築きます。
もちろん光秀自身の才能と武功によるものですが、そのきっかけは斎藤道三だったと言えなくはないでしょう。
ただし、明智光秀は1582年に本能寺の変において信長を討っています。
光秀は、彼の従妹で、道三の娘である帰蝶の夫・織田信長を最終的には死に追いやったという、皮肉な結果となりました。
きょうのまとめ
今回は、なかなか濃いキャラクター・斎藤道三が同時代に生きた明智光秀や織田信長にどんな影響を与えたのかについて見てみました。
簡単なまとめ
① 斎藤道三、織田信長、明智光秀の3人は血の繋がらない親戚だった
② 息子の斎藤義龍との長良川の戦いにおける父・道三の敗死は、叔母が道三の妻で道三方についた明智光秀の浪人する原因となった
③ 義理の父・道三の死後、織田信長は義龍の息子・斎藤龍興を排して美濃国を入手。美濃に繋がりが強く、妻である道三の娘・帰蝶の従兄だった明智光秀を重用した
これら3人の戦国武将の回りまわった三つ巴の関係は興味深いものです。
しかし、政略結婚を通した武将たちの親戚関係というのは、戦国時代には珍しくありません。
武将同士の同盟や牽制のための手段の一つでした。
この3人の関係もそういう一例です。
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