北条政子と夫、源頼朝

 

日本の歴史上、夫婦揃ってここまで有名な人たちというのはそうそういません。

ご存知北条政子ほうじょうまさこの夫は、あの源頼朝

このビッグカップルの出会いから別れまでを見てみましょう。

 

出会う前の二人

北条政子ほうじょうまさこ

北条政子(菊池容斎画、江戸時代)
出典:Wikipedia

北条政子

北条政子は、伊豆国の豪族であり武士である北条時政の長女でした。

北条氏は桓武平氏の流れを汲む、平直方の子孫だと言われていますが、疑問視する研究家もいます。

実質的に彼らは地方官吏でした。

朝廷の大番役おおばんやく(内裏や院御所の門を警護する役)として京都にいた時政。

かねてから平家の一門である伊豆国目代平兼隆たいらのかねたか(または山木兼隆)と娘を結婚させるという約束をしていました。

源頼朝

政子より10歳年上の頼朝は河内源氏の源義朝の三男として尾張に生まれました。

彼の二人の兄は異母兄で頼朝の母親の家柄のほうが高いので、頼朝が実質的に義朝の後継者として扱われていました。

義朝は保元の乱で平清盛らと共に後白河天皇に勝ち、頼朝は平治の乱で清盛に負けるまで、14歳まで京に暮らし、朝廷に任官していました。

平治の乱後に頼朝は蛭ヶ小島ひるがこじまに流されます。

流人ではありましたが、頼朝の生活は恵まれていました。

側近を持ち、京都の情勢を把握しながら、狩りに出掛けたりするほど自由な生活をしていたようです。

 

政子と頼朝の出会い

伊豆の地方役人でもあった北条時政は、流人である源頼朝の監視役でした。

しかし時政が大番役で京にいる間に、政子と頼朝は恋仲になってしまったのです。

世の中は平氏全盛の頃。

二人の仲を知った時政はその事実が平家一門に知られるのを恐れ、兼ねてから計画していた平兼隆と政子の結婚を急ごうとします。

しかし、政子の頼朝に対する情熱は冷めません。

屋敷を抜け出し、山道を忍んで頼朝の元へと走ったといいます。

つまり駆け落ち同然で二人は結ばれました。

この頃、貴族や武士の政略結婚は当たり前だった時代に、二人は大変珍しい恋愛結婚でした。

政子と頼朝の間には大姫という娘が生まれ、結局時政は二人の結婚を認めます。

 

ビッグカップルの結婚生活

当時珍しい恋愛結婚だったこともあり、政子の嫉妬心は激しいものがありました。

頼朝は生涯に多くの女性と通じています。

しかしよほど政子を怒らせるのがこわかったようで、こっそり妾宅へと通っています。

自分たちの血統を残すためにも当時の貴族が多くの妾に子供を産ませることは当然で、頼朝もそれを常識だと思っていたようです。

一方の政子は東国の出身ということもあり、京の貴族の慣習は知りません。

夫婦同権で一緒に家をもり立てるのが当たり前という考え。

頼朝への愛情も深く、嫉妬は人一倍激しかったのです。

また伊豆の地方豪族にすぎなかった北条氏は、皇族に通じた頼朝の源氏と比べると身分の差がありすぎました。

政子はその出自のせいで、正室としての地位に対する不安を感じていたのではないかとも言われています。

二人は頼朝の浮気が原因で周囲を巻き込む派手な夫婦喧嘩も行っています。

やがて頼朝は平氏討伐のために立ち上がり、弟・源義経の活躍もあって平家は壇ノ浦の戦いで滅亡。

そして初の武家政権を樹立し、鎌倉幕府を開きました。

その間、政子は頼朝の子、頼家と実朝を生んでいます。

 

頼朝の死と政子

頼朝が政治的には充実していたその最中、政子と頼朝の別れは突然にやってきます。

1199年、彼は落馬が元で急死してしまったのです。

その少し前には長女の大姫までも亡くしていた政子は、長男の頼家が2代将軍となると、出家して尼になりました。

子と夫を供養するために仏門に入った政子でしたが、その後の彼女の人生がそれまで以上に波乱に満ちたものになるということをその時の政子はもう知っていたでしょうか。

 

おわりに

北条政子は、天下の征夷大将軍源頼朝に負けないほどの気の強いしっかり者。

喧嘩をしながらも子を育て、幕府を立ち上げ、

武家政権を守るために尽力したこの夫婦はよいコンビだったのかもしれません。

 
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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku