劉備玄徳はどんな性格だった?

 

劉備玄徳(りゅうびげんとく)は、とても優れた人物として知られています。

諸葛孔明(しょかつこうめい)や関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)などの
優秀な部下を自分のもとに迎え入れることができたのも、
劉備玄徳の人柄が礼儀正しく、優れていたからだと考えることができます。

今回は、劉備玄徳の性格が他の人からどう捉えられていたのか、調べてみました。

 

陳寿も称賛するほどの善人

劉備玄徳については、中国の正史「 三国志 」の著者である陳寿(ちんじゅ)も

度量が大きく意志も強くて、心が広い。
礼儀も正しくて人を見る目があり、前漢の高祖に似ているところがある。

と絶賛しています。

さらに、若い頃は家が裕福ではなかった劉備玄徳は、
母親を助けるために自分も働いて生計を立てていました。

「 三国志演義 」という歴史書にも、
劉備玄徳を親孝行の息子として記述されています。

 

人の才能をしっかり認めることができた

諸葛孔明が劉備玄徳の軍師になったのは、劉備玄徳が自分のもとを3回も自ら訪問してくれて、自分の戦略にしっかり耳を傾けてくれたことに感動したからです。

自分が皇帝の座についた後も部下の意見を素直に聞き入れる謙虚さを忘れず、多くの人から好かれていました。

劉備玄徳は自分の最後を悟った頃、

「 もし自分の子、劉禅(りゅうぜん)が皇帝としての能力があまりにも足りず、補助することができないようであれば、君が皇帝になって国を治めて欲しい。 」

と諸葛孔明に話していたのです。

諸葛孔明はこの劉備玄徳の言葉にとても感動したそうです。

このエピソードから、劉備玄徳が自分の一族だけを贔屓(ひいき)しようとするのではなく、きちんと自分の部下たちの才能を認めたうえで、誰が国を治める人物としてふさわしいかを判断できる人物だったということが分かります。

 

実は怖い一面もあった

劉備玄徳は歴史書を読み返してみても、とても善人だと記録されていることが多く、
支配者としてとても優れた能力を持った人物だったということが分かります。

しかし、優れた人物だと言っても彼も人間です。

中には「優しくて優れた人物!」として記述されている人物像からは想像できないような怖い記述も残っていました。

妻と幼い息子を捨てようとした

劉備玄徳は曹操(そうそう)との戦に負けて逃げる際に、まだ幼かった阿斗(あと)と、甘夫人(かんふじん)を捨てて逃げようとしました。

阿斗というのは劉備玄徳の長男で、後に劉禅になる人物です。

劉備玄徳は曹操のあまりの強さに驚き、妻と息子を捨ててでも少しでも遠くへ早く逃げようと必死でした。

幸いなことに、甘夫人も阿斗も、劉備玄徳の家臣の助言によって何とか捨てられずに生き延びることができました。

 

きょうのまとめ

今回は劉備玄徳の性格について調べてみました。

多くの歴史書にも残っている通り、

劉備玄徳の性格について簡単にまとめると

① 寛大で優しく、礼儀正しい

② 人の才能をきちんと認めることができる人物

③ 冷徹?臆病?な一面も?

と言えるのではないでしょうか。

国をよい形で治めるためには、自分の息子の劉禅には少々不足しているところがあるということもきちんと認め、もしも劉禅が助言をしても上手く国を治めることができないと判断した場合は、諸葛孔明に皇帝になるように伝えていました。

劉禅と甘夫人を捨ててでも曹操から逃げようとしたという怖いエピソードも残っていますが、他の人物と比べても劉備玄徳には人徳者としての記述がたくさん残っているのに対し、残虐なエピソードは少なくなっています。

このことから、劉備玄徳は史実通りの優れた人物だったということが分かります。










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