劉備玄徳はどんな性格だった?

 

劉備りゅうび(字 玄徳)は、とても優れた人物として知られています。

諸葛亮や関羽、張飛などの

優秀な部下を自分のもとに迎え入れることができたのも、

劉備の人柄が礼儀正しく、優れていたからだと考えることができます。

今回は、劉備の性格が他の人からどう捉えられていたのか、調べてみました。

 

劉備玄徳の性格とは?

劉備玄徳りょうびげんとく

蜀漢 初代皇帝
出典:Wikipedia

陳寿も称賛するほどの善人

劉備玄徳について、中国の正史「三国志」の著者である陳寿ちんじゅ

度量が大きく意志も強くて、心が広い。

礼儀も正しくて人を見る目があり、前漢の高祖に似ているところがある。

と絶賛しています。

さらに、若い頃は家が裕福ではなかった劉備は、母親を助けるために自分も働いて生計を立てていました。

「三国志演義」という歴史書にも、劉備を親孝行の息子として記述されています。

 

人の才能をしっかり認めることができた

諸葛亮が劉備の軍師になったのは、劉備玄徳が自分のもとを3回も自ら訪問してくれて、自分の戦略にしっかり耳を傾けてくれたことに感動したからです。

自分が皇帝の座についた後も部下の意見を素直に聞き入れる謙虚さを忘れず、多くの人から好かれていました。

劉備は自分の最期を悟った頃、

劉備
もし自分の子、劉禅りゅうぜんが皇帝としての能力があまりにも足りず、補助することができないようであれば、君が皇帝になって国を治めて欲しい。

と諸葛亮に話していたのです。

諸葛亮はこの劉備の言葉にとても感動したそうです。

このエピソードから、劉備玄徳が自分の一族だけを贔屓ひいきしようとするのではなく、きちんと自分の部下たちの才能を認めたうえで、誰が国を治める人物としてふさわしいかを判断できる人物だったということが分かります。

 

実は冷徹な一面もあった

劉備は歴史書を読み返してみても、とても善人だと記録されていることが多く、支配者としてとても優れた能力を持った人物だったということが分かります。

しかし、優れた人物だと言っても彼も人間です。

中には「優しくて優れた人物!」として記述されている人物像からは想像できないような冷徹で臆病な記述も残っていました。

劉備は曹操そうそうとの戦に負けて逃げる際に、まだ幼かった阿斗あとと、夫人を捨てて逃げようとしました。

阿斗というのは劉備の長男で、後に劉禅になる人物です。

劉備は曹操のあまりの強さに驚き、妻と息子を捨ててでも少しでも遠くへ早く逃げようと必死でした。

幸いなことに甘夫人も阿斗も、劉備玄徳の家臣の助言によって何とか捨てられずに生き延びることができました。

 

きょうのまとめ

今回は劉備の性格について調べてみました。

劉備の性格について簡単にまとめると

① 寛大で優しく、礼儀正しい

② 人の才能をきちんと認めることができる人物

③ 冷徹?臆病?な一面も?

と言えるのではないでしょうか。

このことから、劉備玄徳は史実通りの優れた人物だったということが分かります。

 

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