大友宗麟の家紋は九州で大人気!?

 

九州地方で強い影響力を持った大友氏。

一族の中でもっとも有名な人物といえば、

大友宗麟(おおともそうりん)ではないでしょうか?

宗麟はキリシタン大名としても有名です。

今回は、宗麟が使っていた家紋についてご紹介したいと思います。

 

大人気の家紋とは?

大友宗麟が使用した家紋についてまとめてみました。

抱き杏葉紋(だきぎょうようもん)

大友家の定紋(ていもん)と言われているのが、抱き杏葉紋です。

西アジア地方の馬具の装飾品を図案化したものだと言われています。

西アジアから中国を渡り、日本にこの図案が入ってきたのではないか、というのが通説です。

当時から舶来(はくらい)の文様ということで、重宝されていました。

本来は、1つで独立した装飾品ですが、図案化する際に2つを対立させて

円形のようにしたものが一般的な杏葉紋として知られています。

これを抱き杏葉紋と言います。

九州の武将のあこがれ

大友氏は鎌倉時代には、現在の大分県である豊後(ぶんご)の国の守護に任命され、

九州地方で力を持つ一族となっていきます。

大友氏の勢力が九州に広がると、大友氏の名声とともに大友氏の家紋である抱き杏葉紋も

権威ある家紋として、憧れの的になります。

都から遠く離れた九州で、大出世した大友氏にあやかりたい、

という思いもあったのかもしれません。

実際に、龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)は、大友宗麟を戦で破ると、

戦に勝った記念として、それまで使っていた紋を廃し、抱き杏葉紋を家紋とします。

このことからも、抱き杏葉紋は武将に人気があり、戦利品としても十分に

価値があったことが分かります。

抱き杏葉紋を使った有名人

抱き杏葉紋は、浄土宗(じょうどしゅう)のお寺の紋としても知られていますが、

浄土宗を開いた法然上人(ほうねんじょうにん)の生家が元を辿れば、

大友氏の一族で抱き杏葉紋を家紋としていたため、浄土宗の寺紋とされています。

元は龍造寺家の重臣で、龍造寺家の衰退に伴い戦国大名となった鍋島家も

抱き杏葉紋を定紋としています。

鍋島家は佐賀藩主となり、幕末の藩主・鍋島直正(なべしまなおまさ)の時には、

日本で初めて反射炉を建設したり、当時は不治の病とされていた天然痘(てんねんとう)

のワクチンをオランダから輸入したりと、近代化を推し進め、幕末の名君と言われます。

他には、連続テレビ小説で人気になった五代友厚(ごだいともあつ)、

ジョン万次郎として知られる中浜万次郎(なかはままんじろう)も抱き杏葉紋を使用しています。

他にも九州地方出身の藩士や政治家、軍人の多くが、抱き杏葉紋を使っています。

それほどに九州地方では、抱き杏葉紋はあこがれの家紋です。

現在でも、抱き杏葉紋を使う家は九州地方が圧倒的に多いです。

 

きょうのまとめ

大友宗麟の家紋についてまとめてみましたが、いかがでしたか?

戦国時代にも、「 あれを使いたい! 」という憧れの家紋があったなんて、少し驚きです。

大友氏の強さとも相まって、威厳のある、立派な家紋に見えたのでしょうね。

 










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