野口英世は左手にやけどをしていなければ農家を継いでいた?

 

千円札の肖像でもお馴染みの野口英世

黄熱病などの研究で世界的にも著名な野口ですが、彼が学問を志した理由は幼少期、左手にやけどを負ったことにありました。

今回は、野口英世と左手のやけどにまつわるエピソードについて、

簡単にご紹介します。

 

野口英世が学問を志した理由とは

野口英世は福島県三ツ和村三城潟(現在の福島県猪苗代町)に生まれます。

実家は貧しい農家でした。

左手にやけどを負う

野口英世は1歳半のころ、囲炉裏(いろり)に落ちてしまいました。

すると野口の左手は大やけどを負い、まるで「こぶ」のようになってしまったといいます。

この出来事は野口の母親・シカにとって、実に悔やまれることとなりました。

左手が不自由になってしまったため、野口英世に農家を継ぐことは困難です。

そこで息子には学問で身を立ててもらおうと考えたシカは、野口が勉強に集中できるよう、必死で働きました。

学問に励む

そんな母親の期待に応えようと、野口英世本人も一生懸命学問に励みます。

すると「生長」という、非常に優秀な生徒が先生の代わりに授業をするという役割を担う存在になりました。

あまりにも優秀だったため、恩師の援助も受けて高等小学校※へと進学しています。

※当時は尋常(じんじょう)小学校での四年間の教育は一般的でしたが、その上の高等学校にまで進めるのは経済的に余裕のある家庭の子でした。野口英世の家は貧しかったので、本来であれば進学することはできなかったのです。

手術を受けて医師を志す

さらに高等小学校4年のとき、野口英世は左手の手術を受けることになります。

これも学校の先生や友人たちの援助で実現したものでした。

手術後も野口の左手が完全に治ったわけではありませんでしたが、手術によって医学の素晴らしさを知ります。

そこで手術をしてくれた渡部鼎(かなえ)のもとに弟子入り。

そして通常は数年かかるという医術開業試験をたった1年でパスし、21歳(数え)のときに医師の資格を取得したのでした。

 

きょうのまとめ

今回は、野口英世と左手のやけどに関する逸話を簡単にご紹介しました。

① 幼い頃囲炉裏に落ちた野口英世は、左手にこぶのようなおおやけどを負った

② 母親・恩師・友人たちの助けもあり、野口英世は学問に集中することができた

③ 左手の手術を受けたことで、野口英世は医学の素晴らしさに気づいた

こちらのサイトでは他にも、野口英世にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 

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