戦国大名といえば、かっこいい家紋が頭に浮かびます。
自分の家を表す、現在で言えばシンボルマークようなものですよね。
近頃の戦国武将ブームで、家紋をあしらった様々なグッズが売られていたりするので、
何かと家紋を見る機会も多いのではないでしょうか。
現在の私たちが見ても、デザイン性抜群の家紋ですが、
実はいろいろな意味が隠されているのを知っていましたか?
今回は、毛利元就の家紋を見ていきましょう。
タップでお好きな項目へ:目次
毛利家の家紋とは
ほとんどの戦国大名は、何種類もの家紋をその時々によって使い分けていました。
また戦の功績などで、褒美として賜ることもありました。
家紋とはひとつではなかったのです。
有名なもので言えば、大河ドラマで話題になった真田家の六文銭は戦時の紋で、
平常時には、結び雁金という紋を使用していました。
元就も10種類近くの家紋を使い分けていたといいます。
では、どんな家紋を使っていたのでしょうか?
一文字三星紋(いちもんじみつびしもん)
一文字三星紋。
毛利家の家紋として、最も多く使われ、一番有名なのがこの紋です。
数字の一の下に丸が三つ三角形に並んだもので、元就もこの紋を定紋としています。
毛利家の祖である大江氏が、一品の位を持つ阿保親王の末裔であったことから、
一品を図案化したものだと言われています。
一品とは、律令制での最高の位を示します。
家紋では、丸は星を意味していると言われ、この一文字三星紋の三つの丸は、オリオン座の中央に並ぶ三つの星を意味してします。
三武とも将軍星とも呼ばれ、軍神として武家の信仰を集めました。
皇族であるという「格式」と、「武」の両方をあわせ持つ家紋なのです。
長門沢潟(ながとおもだか)
長門沢潟。
沢潟とは、池や沼に自生する水草です。
勝ち草といって、戦に勝つことにかけていた草だそうです。
元就が出陣した際に、沢潟にトンボが止まったのを見て、
として、軍を指揮し見事勝利を収めました。
それから長門沢潟紋を、副紋として使用するようになった、と伝わっています。
沢潟は、小さな可愛らしい花が咲くそうです。
元就も戦の最中にふっと、その可愛いらしい花に目が留まったのかもしれません。
下賜(かし)された家紋
他には、正親町天皇から十六菊紋を、足利義昭からは
五七桐紋を下賜されたという記録があります。
実際にどんな時に使われたか、という資料は残っていないので不明ですが、
天皇や将軍から家紋を下賜されるということは、大変名誉なことでした。
きょうのまとめ
家紋とは、ただのシンボルマークではなかったんですね。
ずっと昔にまでさかのぼり、自分の家の出自を表すものであることが分かりました。
戦のときにも掲げられる家紋。
元就も、毛利家の家紋にプライドを持っていたのでしょう。
自分の家の家紋の意味、調べてみたくなりますね。
その他の人物はこちら
戦国時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【戦国時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」