源頼朝の肖像画は本物?

 

1192年鎌倉幕府を開いた

源頼朝ですが、

歴史の教科書に載っている彼を描いた肖像画を当然頼朝だと思ってきた人も多いでしょう。

しかしそれが最近になって本人の顔ではないということがわかってきました。

それは源頼朝だけではなく、足利尊氏の肖像画も別人だと言います。

今回はその真偽について調べて見ましょう。

 

源頼朝の肖像画は本物か?

なぜ源頼朝だとされていたか?

京都にある神護寺が所蔵する三幅の肖像画あります。

これを、源頼朝、平重盛、藤原光能の3人であるとし、1951年に国宝に指定されました。

この3人の画には、賛などはなく、

賛: 作品に書き添えられるもので、普通人物の説明などが書かれている

それ自体に本人だと明記するものは何もありません。

しかし14世紀頃に書かれたとされる「 神護寺略記 」の中に、

神護寺の仙洞院に、後白河院、平重盛、源頼朝、藤原光能、平業房らの肖像があり、

それらは藤原隆信の作品であるとの内容の文章がありました。

これが三幅の画を平重盛、源頼朝、藤原光能とする根拠となったのです。

その上、大英博物館の源頼朝像はこの神護寺の画を模写して書かれているのですが、
こちらには源頼朝だという賛が明記されています。

これによって、

今までその肖像画が源頼朝だと思われていたのでした。

この人物は誰?

ある歴史研究家は、源頼朝とされていた肖像画は、

足利尊氏の弟 足利直義であると言います。

神護寺に収められている

「 足利直義願文 」には、

征夷大将軍(足利尊氏)と自分の影像を神護寺に奉納します

と書かれています。

通常2人の肖像を描くとき、右に位の高い人を、左にその下の位の人を書くそうです。

つまり右に書かれた左向きの像は、足利尊氏で、

左の源頼朝だと思われていた像が足利直義だというのです。

ではもう1人は誰なのでしょう。

それは足利尊氏の息子の義詮(よしあきら)ではないかといわれています。

足利尊氏が第1線を退いたとき、直義が補佐したのは義詮です。

つまりこれまで藤原光能だと思われていた像が足利義詮だということになります。

きょうのまとめ

この肖像画についての論争は今も続いています。

たくさんの研究家が色々な説を唱えているからです。

所蔵している神護寺や大英博物館は、新説に否定的です。

しかし教科書も歴史書も、これまでの源頼朝像を伝源頼朝像と記載したり、
像そのものを載せなかったりと変わってきています。

たとえ神護寺の像が、頼朝でなかったとしても、
その絵の価値は歴史的には貴重なものであることに変わりはありません。

なかなか教科書で見た頼朝の姿が払拭できませんが、

本当の頼朝はどんな顔をしていたのかちょっと気になりますね。

 

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