紀貫之の子孫に坂本龍馬がいるって本当?名門紀氏の系図を見てみる

 

紀貫之は、『古今和歌集』の撰者や『土佐日記』の作者としても有名です。

朝廷での官位はあまり高くありませんでしたが、日本文学に多大な影響を及ぼした偉大な人物です。

今回は紀貫之を生んだ、名門紀氏の系図を見ていこうと思います。

 

紀貫之の先祖と子孫には誰がいる?

紀氏といえば、主に武門の家柄として栄えた古代の豪族です。

征東大使を務めた紀古佐美なんかは、その良い例ですね。

文人としては紀貫之だけでなく、漢学者の紀長谷雄らを輩出しています。

伝説的忠臣・武内宿禰

名門の紀氏の祖は、紀角(きのつの)という人物と伝わっています。

紀角は伝説的忠臣・武内宿禰(たけのうちのすくね)の子です。

 

武内宿禰は、

  1. 景行天皇(第12代)
  2. 成務天皇(第13代)
  3. 仲哀天皇(第14代)
  4. 応神天皇(第15代)
  5. 仁徳天皇(第16代)

という5代の天皇に仕えたとされています。

 

また、神功皇后の新羅出兵を助けたことでも有名です。

そして武内宿禰はなんと、300年近く生きたとされているのです。

だから伝説と言いましたよ……。

 

とにかく、名門の紀氏。

ですが、応天門の変(※1)で紀豊城(とよき)・夏井らが流罪となり一族は衰退していました。

そして藤原氏が台頭する時代に生まれたのが、紀貫之でした。

そのため彼は残念ながら、始めから出世は期待できなかったと言われています。

※1 応天門の放火をきっかけとして、藤原氏が他の有力者たちを退けた事件のこと(866年)。

『古今和歌集』の撰者の一人・紀友則

さて、日本初の勅撰和歌集といえば、『古今和歌集』です。

『古今集』と略して呼ばれることもあります。

 

醍醐天皇の命によって作られることになった『古今和歌集』は、

  1. 紀貫之
  2. 紀友則(きのとものり)
  3. 凡河内躬恒(おおしこうちのおみつね)
  4. 壬生忠岑(みぶのただみね)

という4人によって編纂されたことでも知られています。

 

このうち紀友則は、紀貫之のいとこにあたる人物です。

三十六歌仙の一人でもあります。

ですが実は紀友則は、『古今和歌集』編纂中に亡くなっています。

完成した初めての勅撰和歌集を、見せてあげたかったですね。

坂本龍馬も紀氏出身?

紀貫之に子どもはいましたが、どうやら直系は孫の代で断絶しています。

しかしあの坂本龍馬が、紀貫之の子孫であると称していたと言われているのです。

 

紀貫之といえば『土佐日記』、土佐といえば坂本龍馬……本当でしょうか。

ですが、京都にある龍馬の墓石には「坂本龍馬紀直柔(※2)之墓」としっかり刻まれているのです。

※2 直柔(なおなり)は坂本龍馬の本名

 

かなり気になるので調べてみたところ、

坂本家が土佐藩に提出した資料の中に、紀氏の出であると記されていたのだとか。

さらには坂本家の家伝にも、紀氏の一族が和泉国坂本郷に移り住んだのが坂本家の始まりと書かれています。

これを踏まえると、紀貫之の直系ではなさそうですが、真実はいかに。

 

きょうのまとめ

今回は紀貫之と血が繋がっている(と思われる)人物について、簡単に紹介しました。

① 紀氏の祖は武内宿禰の子どもと伝わっている

② ともに『古今和歌集』の撰者となった紀友則は紀貫之のいとこに当たる

③ 坂本龍馬は紀氏の出であると称していた

こちらのサイトでは他にも、紀貫之にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってください。

 

紀貫之に関する【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「紀貫之とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

five × five =