紀貫之が『土佐日記』で性別を偽った理由などについて簡単に紹介

 

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」

どこかで聞いたことがある文章ですよね。

おそらく学校の古文の時間に習ったはず、『土佐日記』の冒頭文です。

今回は『土佐日記』の概要と紀貫之きのつらゆきの「事情」について、簡単に紹介していきます。

 

『土佐日記』とは?

紀貫之、きのつらゆき

紀貫之
出典:Wikipedia

『土佐日記(土左日記)』とは935年頃に書かれたとされる、紀貫之の代表作です。

紀貫之といえば和歌の名人ですが、

『土佐日記』は日記文学(単なる日記ではなく、日記形式の文学作品のこと)です。

日本の日記文学としては、伝存する最古の作品と言われています。

紀貫之は朝廷に仕える役人でもあったので、国司(土佐守)として土佐に赴任していました。

そして赴任地から京へと帰る際、『土佐日記』を書いたとされています。

その中には旅のことだけでなく、土佐で失った子どもや社会に対する風刺なども書かれています。

さて、『土佐日記』の最大の特徴といえば、仮名(=ひらがな)文で書かれていること。

さらに紀貫之が、女性のフリをして書いていることでした。

 

紀貫之が性別を偽った理由とは?

なぜ紀貫之は性別を偽ってまで、『土佐日記』を書いたのでしょうか。

一般的には、下記のように説明されると思います。

 

仮名を使いたかった?

当時、日記は男性が漢字を使って書くというのが常識でした。

ですが、仮名を使って日記を書きたかった紀貫之は考えました。

男が仮名を使うことははばかれる……そうか! 女性になろう、と。

 

しかし、また違った説もあります。

内容的に都合がよかった?

例えば、亡くした娘のことを書き残すのには、

女性が書いたことにした方が都合が良かったから(和歌を盛り込むので、違和感がないようにするためなどの説も)だと言われることもあります。

それは男性は日記に私的なことは書かない、というのが当時の常識だったからです。

このように、実は紀貫之が性別を偽った理由は、定かではないのです。

 

なぜ仮名を使ったのか?

それでは、なぜ貫之は仮名を使うことにしたのでしょうか。

これにもいくつか説はありますが、仮名文を使って自由な表現を行うためという説(中国文化(漢字)からの脱却を志向したなどの説も)もあります。

平安時代、仮名なんて使うのは女性だけだったというイメージもあるかもしれません。

ですが、男性も和歌を詠むときは仮名を使っていたのです。

三十六歌仙の一人でもあった紀貫之は、仮名文の可能性に誰よりも早く気付いたのではないでしょうか。

 

理由はどうであれ、仮名文で書かれた『土佐日記』はその後の女流文学に大きな影響を与えています。

有名な蜻蛉かげろう日記』更級さらしな日記』なども、『土佐日記』なくしては存在していなかったかもしれません。

 

きょうのまとめ

今回は紀貫之の『土佐日記』について、簡単に紹介しました。

『土佐日記(土左日記)』とは、

① 『土佐日記(土左日記)』は日本に伝存する最古の日記文学である

② 女性が書いたという設定で、仮名文が使われている

③ 当時の男性は日記を漢字で書くのが常識であったため、貫之は性別を偽ったというのが通説

こちらのサイトでは他にも、紀貫之についてわかりやすい記事を書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってください。

紀貫之に関する【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「紀貫之とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

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