大石良雄とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

大石良雄おおいしよしお(よしたか)という名よりも

大石内蔵助おおいしくらのすけと見れば、

「ああ、あの!」という人が多いでしょう。

あの赤穂四十七士あこうよんじゅうななしの家老です。

江戸時代は元禄げんろくの真只中。

普通に平穏な人生を送るはずが、まったくとんでもない事件が起こり、この人の人生は激変してしまいます。

あの、江戸城松の廊下での浅野内匠頭あさのたくみのかみによる吉良上野介きらこうずけのすけへの斬り付け騒ぎです。

まあ、誰しもの人生、ずっと平穏などというのはないのかもしれませんが、

「平穏に暮らしていた人」の「まさかの後」の人生というのは興味がありませんか。

 

大石良雄はどんな人

プロフィール
大石良雄、大石内蔵助

大石良雄
出典:Wikipedia

  • 出身地:播州赤穂藩ばんしゅうあこうはん(兵庫県南西部)
  • 生年月日:1659年
  • 死亡年月日:1703年3月20日(享年44才)
  • 赤穂四十七士のリーダー。

大石良雄 年表

年表

西暦(年齢)

1659年(0歳)大石良雄生まれる

1667年(8歳)浅野長矩あさのながのり(浅野内匠頭)生まれる

1680年(21歳)徳川綱吉、江戸幕府5代将軍となる

1690年代から1700年代元禄文化が栄える

1701年(42歳)江戸城松の廊下で浅野長矩、吉良上野介に刃傷沙汰に及ぶ。浅野切腹。浅野家改易。

1703年(44歳)赤穂四十七士、吉良上野介の屋敷へ討ち入り。四十七士切腹。

 

若いころは「昼行燈(ひるあんどん)」と呼ばれるふつうの人

大石家は播州赤穂藩で代々家老や筆頭家老を出す家柄。

良雄はそんな良昭よしあきの長男。

わずか21歳で赤穂藩筆頭家老。

28歳の時には10歳年下である、他の大名家の家老の娘「りく」と結婚します。

子どもと伝えられるのが、3男2女あり、子だくさんだったようです。

ちなみにまだこの頃は「昼行燈」(ぼんやりしている人、役に立たない人)なんて噂されていたようですね。

 

浅野家と松の廊下事件

さて、1701年がやってきます。

主君の浅野内匠頭が江戸城で勅使饗応役ちょくしきょうおうやくを任命されます。

朝廷からの使いをもてなす役目です。

が、相手は伝統と格式ある朝廷です。

ものすごく儀礼が難しくて、失敗は許されません。

浅野はそこで高家こうけといわれる吉良上野介に「教えてください」とお願いします。

そこで、「何か」が起こってしまったのでしょうね。

何が起こったのかはいまだよくわかっておりませんが、

「吉良が賄賂わいろを要求して、浅野が断り嫌がらせを受けた」

とか、

「吉良が赤穂産の塩の製造方法を浅野に聞き出そうとして断られ、やっぱり嫌がらせをした」

とか、

「浅野家が勅使饗応役の資金を出し惜しみしたことに吉良が怒って、結局嫌がらせをした」

とか、

いろいろ言われておりますね。

まあ、実際浅野さんはちょっと怒りっぽい性格だったようですね。

 

赤穂四十七士、いよいよ吉良邸へ討ち入り

さあ、松の廊下で大変なことが起こりました。

天下の江戸城内で刀で人を斬り付けるなんて、もう許しちゃもらえません。

切腹だけではすみません。

改易かいえきです。倒産です。

浅野内匠頭は腹を切りましたが、その後残された多くの家臣たちとその家族たちは新しく食いぶちを探さなきゃなりません。

えらいことになったものです。

しかも、それだけじゃございません。

当時、仇討あだうちなんていう思想がありました。

身内が殺されたら、やり返す、という思想です。

世の中の人たちは

町の人
浅野が吉良からよくわからない因縁を付けられたから、浅野はとうとうおこって松の廊下であんなことをやってしまい、切腹になった。残された赤穂の者たちはなんかしなけりゃならないだろ

と噂しているのです。

仇討です。

乗り気な人もいます。いやあ、俺は、という人もいます。

そんな中で最後まで「やる」として集まったのが大石含む47人

こうして、立つことになるのですね。

大石本人が立ちたかったのかどうかはわかりません。

ただ、筆頭家老という立場がそうせざるをえなくしておりました。

時代のせいというのもあれ……。

こうして、彼らはある冬、吉良が宴会を開いているという晩、その屋敷に討ち入り、無事吉良を討ち果たして、やがて全員切腹の裁きを受けます。

ただ、世上ではそのいさぎよさが大評判となり、講談や歌舞伎・人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりなどの演目として続々と演じられるようになるのです。

その人気は今なおもって衰えておりません。

 

きょうのまとめ

大石良雄の人生いかがだったでしょうか。

① 大石良雄は赤穂四十七士のリーダー

② 主君浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷事件を起こし、後の討ち入りの原因になった

③ 四十七士は討ち入りを果たし、切腹をして亡くなった

生きるというのは大変なことですね。

大石を思うと本当にそう痛感いたします。

何が自分にとって「生き切る」ということなのかを彼らなりに考えに考え抜いた結果なのでしょう。

もちろん、吉良も、浅野も、みんなそれなりに何かはあったはずです。

 

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