「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」
どこかで聞いたことがある文章ですよね。
おそらく学校の古文の時間に習ったはず、『土佐日記』の冒頭文です。
今回は『土佐日記』の概要と紀貫之の「事情」について、簡単に紹介していきます。
タップでお好きな項目へ:目次
『土佐日記』とは?
『土佐日記(土左日記)』とは935年頃に書かれたとされる、紀貫之の代表作です。
紀貫之といえば和歌の名人ですが、
『土佐日記』は日記文学(単なる日記ではなく、日記形式の文学作品のこと)です。
日本の日記文学としては、伝存する最古の作品と言われています。
紀貫之は朝廷に仕える役人でもあったので、国司(土佐守)として土佐に赴任していました。
そして赴任地から京へと帰る際、『土佐日記』を書いたとされています。
その中には旅のことだけでなく、土佐で失った子どもや社会に対する風刺なども書かれています。
さて、『土佐日記』の最大の特徴といえば、仮名(=ひらがな)文で書かれていること。
さらに紀貫之が、女性のフリをして書いていることでした。
紀貫之が性別を偽った理由とは?
なぜ紀貫之は性別を偽ってまで、『土佐日記』を書いたのでしょうか。
一般的には、下記のように説明されると思います。
仮名を使いたかった?
当時、日記は男性が漢字を使って書くというのが常識でした。
ですが、仮名を使って日記を書きたかった紀貫之は考えました。
男が仮名を使うことは憚れる……そうか! 女性になろう、と。
しかし、また違った説もあります。
内容的に都合がよかった?
例えば、亡くした娘のことを書き残すのには、
女性が書いたことにした方が都合が良かったから(和歌を盛り込むので、違和感がないようにするためなどの説も)だと言われることもあります。
それは男性は日記に私的なことは書かない、というのが当時の常識だったからです。
このように、実は紀貫之が性別を偽った理由は、定かではないのです。
なぜ仮名を使ったのか?
それでは、なぜ貫之は仮名を使うことにしたのでしょうか。
これにもいくつか説はありますが、仮名文を使って自由な表現を行うためという説(中国文化(漢字)からの脱却を志向したなどの説も)もあります。
平安時代、仮名なんて使うのは女性だけだったというイメージもあるかもしれません。
ですが、男性も和歌を詠むときは仮名を使っていたのです。
三十六歌仙の一人でもあった紀貫之は、仮名文の可能性に誰よりも早く気付いたのではないでしょうか。
理由はどうであれ、仮名文で書かれた『土佐日記』はその後の女流文学に大きな影響を与えています。
有名な『蜻蛉日記』や『更級日記』なども、『土佐日記』なくしては存在していなかったかもしれません。
きょうのまとめ
今回は紀貫之の『土佐日記』について、簡単に紹介しました。
『土佐日記(土左日記)』とは、
② 女性が書いたという設定で、仮名文が使われている
③ 当時の男性は日記を漢字で書くのが常識であったため、貫之は性別を偽ったというのが通説
こちらのサイトでは他にも、紀貫之についてわかりやすい記事を書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってください。
紀貫之に関する【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「紀貫之とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」
その他の人物はこちら
平安時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【平安時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
コメントを残す