勝海舟は多くの名言を残した人物として知られています。
彼は幕末から明治にかけて生き、徳川幕府と明治新政府に仕えました。
敵対した二つの政治体制の中枢で働いたという希有な経験は、勝の生涯に大きな影響を与えます。
人生のどんな場面にあってもブレのない彼の生き方は痛快そのもの。
そんな勝海舟の小気味のよい名言を見ていきましょう。
タップでお好きな項目へ:目次
勝海舟 名言5選
行蔵は我に存す
行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず
この言葉こそ、勝海舟の思想の根幹です。
福沢は著書『痩我慢の説』の冒頭で、
徳川幕府に務めた勝海舟は明治政府に仕えるべきではなかったと批判しました。
そしてこれが勝の福沢に対する答えだったのです。
彼はこの姿勢で生涯を貫きました。
政治を行う「実行派」の勝海舟のプライドと、
政治思想家もしくは評論家である実務にうとい「理論派」の福沢諭吉への批判がありありと表現されていますね。
何かを実行しようとする者は、雑音に耳を貸すことなく己を信じて実行あるのみ――。
そんな切れ味のある勝の思想が溢れる言葉です。
世の中は、時々刻々変転極まりない
世の中は、時々刻々変転極まりない。機来たり、機去り、その間実に髪をいれないこういう世界に処して、万事、小理屈をもってこれに応じようとしても、それはとても及ばない
というこの言葉も机上の空論を嫌い、実行を重んじた勝らしい名言です。
彼は平素より市中をよく歩き回って人々と交流し、町の様子を常に把握していました。
政治家勝海舟が日本という国を知るためにした努力は、この言葉に裏打ちされたものでした。
現代でも、優れた企業のトップが直接現場に足を運んで現状を知る努力をする話を耳にしますね。
私たちにも納得できる言葉ではないでしょうか。
事を遂げる者は愚直でなければならぬ
勝海舟語録である「氷川清話」の終わりに「要するに処世の秘訣は誠の一字だ」と彼は述べています。
また、「政治家の秘訣はただただ正心誠意の四字ばかりだ」とも残しています。
彼の言う愚直とはまさにこの「正心誠意を尽くす」態度のことです。
何かを成し遂げようとするときに、才能に頼り、小細工して要領良く行おうとしても上手くはいかないもの。
成功のためには、大本を定めて近道を考えずに目的に向かって真摯に努力することが大切なのです。
困難な時代を乗り越えてきた勝海舟の体験に基づく言葉です。
時勢の代わりというものは
この言葉の例として、勝は大政奉還後に世間の人々が徳川慶喜について頓着しなくなってしまったことを挙げています。
幕末における江戸幕府の英雄が明治政府の下ではお尋ね者となり、
大罪を犯した罪で処罰されるというヒーローから犯罪者への転落さえあった時代だったのです。
全く違う政治体制の元では、正義の意味さえ変わってしまうという危うさ。
「時勢が時勢だもの、いまさら仕方がないサ」。
からりとした調子で勝はそう結びます。
江戸と明治という二つの時代を通じて知り合った多くの人物の「前と後」を見てきた勝海舟。
一種の諦観かもしれません。
生業に貴賤はないけど
勝海舟の交友関係は幕府や政府の要人から幇間(男芸者)、
娼婦宿の主人に至るまで実に幅広いものでした。
身分や職業によって付き合う人を区別することはなかったのです。
市中をよく歩き回って町の様子をよく把握していた勝。
彼は、いわゆる社会的な地位が低くてもプロとしての誇りと責任を持って働く人が多く存在することを知っていました。
その反対に、地位は高くても過去の栄光にすがり、なりふり構わず保身を図るような人物も多くいました。
人としてどう生きるのか。
これは、この言葉を聞く私たち全てに投げかけられた勝海舟からの質問でもあるのです。
きょうのまとめ
「理論では佐久間象山が抜群だが、実践面では勝先生が一番だ」と西郷隆盛に言わせた男、
勝海舟。
彼の生きた時代は、多くの優秀な人材を排出した激動の時でした。
そして勝はその殆どの逸材と遭遇し、彼らに多大な影響を与えた人物です。
その彼の遺した言葉にあなたは何を感じるでしょうか。
勝海舟の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「勝海舟はどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」
その他の人物はこちら
江戸時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【江戸時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」