新選組メンバー伊東甲子太郎とはどんな人物?【完全版まとめ】

 

仲間うちの粛清が多かった新選組の短い歴史。

その中でも山南敬助の切腹と共に大きな影を落とす

伊東甲子太郎いとうかしたろう暗殺の油小路事件。

伊東甲子太郎とはどんな人物で、

彼の死が新選組創成期メンバー藤堂平助の死、

そして近藤勇の死へとどう連鎖したのでしょうか。

 

伊東甲子太郎はどんな人?

プロフィール
いとうこうしろう

伊東 甲子太郎
出典:Wikipedia

  • 出身地:常陸国(現在の茨城県)
  • 生年月日:1835年1月1日
  • 死亡年月日:1867年12月13日(享年33歳)
  • 新選組での役職:参謀、文学師範
  • 剣の流派:神道無念流、北辰一刀流
  • 愛刀:濃州住志津三郎兼氏のうしゅうしずさぶろうかねうじ
  • 墓:京都市東山区戒光寺
  • 勤王思想に傾倒しながら手段として新選組に入隊。のち離隊して高台寺党を結成したが、志を貫く間もなく暗殺された

 

伊東甲子太郎 年表

年表

西暦(年齢)

1835年(1歳)常陸志筑藩士鈴木専右衛門忠明の長男として誕生

1864年(30歳)藤堂平助の仲介により新選組に加盟

1867年(33歳)新選組を離脱し御陵衛士・高台寺党を結成
        油小路本光寺門前にて暗殺される(油小路事件)

 

伊東甲子太郎の生涯

伊東が新選組に在籍していたのは、3年ほどでした。

新選組への入隊と離隊

父親が常陸ひたち志筑しづく藩、鈴木専右衛門忠明の長男として誕生。

水戸へ遊学した際、水戸学を学んで勤皇思想に傾倒。

同時に水戸で神道無念流剣術も学びます。

のち、江戸で北辰一刀流剣術伊東道場に入門し、道場主の伊東誠一郎に見込まれて婿養子となりました。

1864年に同門だった藤堂平助の仲介により、参謀兼文学師範として

・鈴木三樹三郎(弟)
篠原泰之進しんのはらたいのしん
加納鷲雄かのうわしお
・服部武雄
・内海次郎
・中石昇

らと新選組に加盟。

近藤勇は歓迎しましたが、土方歳三は伊東の本心つまり

「新選組参謀の地位を利用して入手した情報を土産にして薩長に近づく」

ことを察知していました。

徐々に倒幕思想を高めた伊東は1867年、孝明天皇の御陵衛士を拝命すると新選組から離隊します。

同志14名と共に東山高台寺の月真院に本拠を構えて、高台寺党を結成。

新選組結成以来の隊士・藤堂平助も御陵衛士に参加しています。

伊東の暗殺

1867年11月18日伊東はに近藤勇の妾宅に呼び出されます。

酒宴の後、帰宅途中の油小路で新選組の大石鍬次郎ら数名に暗殺されました(油小路事件)

酒に酔わせたうえでの多人数による闇討ちは、北辰一刀流剣術の道場主であった伊東の剣の腕を警戒してのことでした。

伊東は「奸賊かんぞく(心がねじ曲がっている人)ばら」と言いながら、近くにあった本光寺の門前で石柱にもたれかかり、それを抱くようにして絶命したそうです。

暗殺理由は諸説あります。

・御陵衛士が幕府と敵対していた長州藩に対して寛大な処分を主張する建白書を提出したことが、長州の厳罰を主張する近藤勇を激怒させた

・御陵衛士による近藤勇の暗殺計画の話しをスパイとして潜入させていた斎藤一から入手したから

・「局を脱するを許さず」の新選組隊規に違反して離隊した事への粛清

彼の遺体は油小路に放置され、御陵衛士をおびき出す囮として使われました。

死の知らせを聞き、駆けつけた御陵衛士は、現場で待ち伏せていた新選組と斬りあいになり

・藤堂平助
・毛内之助
・服部武雄

らが死亡しています。

 

伊東暗殺は近藤の死の伏線に

油小路事件の報復として10日後には近藤勇が御陵衛士の残党に狙撃され、肩に重傷を負いました。

それだけではありません。

戊辰戦争が勃発し、翌年4月3日に新選組が下総流山で新政府軍に包囲されます。

その際、近藤勇は大久保大和の変名で投降しました。

しかし、彼が近藤勇であることが発覚し、板橋の刑場で斬首となります。

その時に近藤勇だと見破った人物こそ、新政府軍に加わっていた元新選組隊士であり御陵衛士だった加納鷲雄でした。

伊東暗殺の恨みは、近藤斬首となって新選組に返ってきたのです。

 

きょうのまとめ

伊東甲子太郎についていかがでしたでしょうか。

伊東甲子太郎とは?

簡単にまとめると

① 容姿端麗、文武に秀で、弁舌にも長けた策士

② 新選組の立場を利用しようとした勤王の志士

③ 結果的に自分の死をもって近藤勇に死をもたらした男

と言えるのではないでしょうか。

その他にも新選組にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 
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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku