土方歳三はどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

土方歳三ひじかたとしぞうは新選組の副長として、よく知られています。

イケメンで女性に人気があった、と同時に「鬼の副長」とも呼ばれていました。

土方歳三とはどのような人物だったのでしょうか。

そしてどうして鬼になったのか、刀を人一倍大切にした理由とは何か、など解説していきます。

 

土方歳三のプロフィール

プロフィール
土方歳三

出典:Wikipedia

  • 氏名:土方歳三(ひじかた としぞう)
  • 誕生年:1835年
  • 死没:1869年(享年35)
  • 別名は鬼の副長。新選組の副長として京都警護で力を発揮する。戊辰戦争の最後の戦場、函館五稜郭にて戦死。

 

土方歳三の年表

年表

西暦(年齢)

1835年(1歳)武州日野(現在の東京都日野市)で6兄弟の末っ子として誕生。

1851年(16歳)天然理心流剣術道場に仮入門する。正式入門は6年後。

1863年(28歳)将軍・徳川家茂警護のため、浪士組へ応募する。壬生浪士組みぶろうしぐみの活躍が認められ、新選組が発足。

1867年(32歳)幕臣に取り立てられる。将軍・徳川慶喜が大政奉還。王政復古の大号令が発せられ、事実上江戸幕府滅亡。

1868年(33歳)

1月3日 鳥羽・伏見の戦いをかわきりに、戊辰戦争が始まる。

3月6日 甲州勝沼の戦いで敗戦

4月3日 新政府軍に包囲され、近藤勇が投降

4月25日 近藤勇、板橋刑場にて斬首

5月11日、15日 宇都宮城の戦いに勝利。足を怪我し、会津へ護送

8月 母成峠ぼなりとうげの戦いにて敗戦

8月〜10月 会津から仙台へと異動。榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流

10月12日 仙台から蝦夷地へ向かう

10月20日 箱館・五稜郭を占領。松前城を陥落。

12月 榎本を総裁とする「蝦夷共和国」が成立する。歳三は幹部となる。

1869年(34歳)

3月 新政府軍が襲来。宮古湾海戦に参加するが敗北。

5月 新政府軍が箱館総攻撃を開始。交戦中、銃弾に倒れる。享年35。

 

土方歳三にまつわるエピソード

武士への憧れ

土方歳三の信念は

「武士よりも武士らしく」

夢は「新選組の名を天下にしらしめ、近藤勇を大名にする」ことでした。

土方の生家は現在の東京都日野市にあり、お金持ちの農民の子として生まれました。

当時、多摩地域は徳川家の天領だったため、徳川家おかかえ農民の誇りを持っていました。

しかし土方は農民ではなく、「武士」になりたかったのです。

剣術の腕が優れていても農民は農民と武士から馬鹿にされ、剣術の腕を活かす場所もありませんでした。

そんなとき、徳川幕府が浪士組ろうしぐみの募集を始めました。

当時の京都では尊王攘夷運動が盛んで浪士たちが溢れかえっていました。

治安の悪化を防ぐため、京都の警護をする人を募集したわけです。

調布の豪農出身の近藤勇も土方と同じく、剣術の腕は優れていましたが農民でした。

そんな二人にとって「浪士組」に入ることは剣術の腕を活かせ、武士のように生きる大きなチャンスだったのです。

鬼の副長

土方歳三は初めから、冷酷非情な性格だったわけではありません。

新選組(壬生浪士組)を幕府に認めてもらうために、鉄の掟局中法度きょくちゅうはっとを作成します。

規律の順守することを義務づけ、掟を破った場合は切腹あるいは内部粛清を行いました。

新選組から脱走した人間も捕らえて打ち首にするなど、冷酷非情な役割に徹していました。

新選組の隊員が命を落とす一番の理由が粛清によるものだったとも言われています。

京都の警護を任されたと言っても、重要な部分は幕府の下に就く藩士たちで、新選組はその他の地域しか担当させてもらえませんでした。

一生懸命務めているのに、農民出身という身分であることで下に見られているという悔しい思いをしたはずです。

土方がここまで「鬼」になれたのは、

「武士よりも武士らしく」なるために必要なことだったのかもしれません。

厳しい規律をきちんと守り、京都の警護の際「池田屋事件」に遭遇し、新選組は一躍有名になりました。

その後、近藤と土方は武士としての身分を手に入れることになるのです。

本当は人情がある人だった?

新選組を有名にするために近藤を組長として盛り立て、

自らは汚れ役に徹した土方歳三ですが、

京都から故郷に仕事で帰ったときは、

家族や甥、姪などにお土産をあげていたというエピソードが残っています。

恋よりも国のために生きた男、土方歳三

土方歳三には幻の許嫁がいたと言われています。

生まれ育った実家の近くで三味線屋の娘、琴です。

美人で三味線の腕も良く、教養のある女性だったようです。

土方も少なからず気に入っていたようですが、

そのときは結婚を先延ばしにし、許嫁としています。

その後、新選組の副長として幕府のため、国のために命をかけてきました。

幕末の動乱の中、最後まで幕府への忠心を貫き、武士として散りました。

明治を迎えてもなお、旧幕府の人間として戦えたのは土方の意地でもあり、意志だったのかもしれません。
 

土方歳三の最後の戦い、函館戦争

「戊辰戦争」で多くの仲間を失った新撰組は、

旧幕府軍勢力の一部として、函館戦争に参加します。

その中には激闘の中、生き残っていた土方歳三の姿もありました。

函館の地で土方歳三は最後の戦いを迎えます。

土方歳三最後の地は函館

新撰組は、旧幕府軍の一部として戊辰戦争に参加しました。

薩長同盟を中心とする官軍は錦の御旗を掲げ、旧幕府軍を「賊軍」として追い詰めてきます。

旧幕府軍は、「鳥羽伏見の戦い」で決定的な敗北を喫し、「江戸城の無血開城」へといたります。

しかし戦いは終わることなく、旧幕府軍は戦い、

官軍となった薩長連合軍に破れ続け、北へ北へと逃れていきます。

そして、戊辰戦争最後の地である函館で旧幕府軍は、迫り来る官軍を迎え撃つことになります。

その中に、新撰組、副長の土方歳三がいました。

土方歳三も、またこの函館の地で戦いを待っていたのです。

宮古湾海戦に参加した土方歳三

土方歳三率いる新撰組は、函館の五稜郭に立てこもります。

土方歳三は、宮古湾海戦に参戦します。

旧幕府軍の作戦は近代海戦の常識を破るものでした。

幕末では蒸気船に大砲を搭載し、すでに船同士の砲撃戦が中心となっています。

しかし、土方歳三の参加した宮古湾海戦では、

「官軍の軍艦「甲鉄」に抜刀切り込み隊を送り込む」

と言う作戦を旧幕府側は実行しようとするのです。

後に、バルチック艦隊を破った東郷平八郎も宮古湾海戦に参加していました。

彼は後に、旧幕府側の作戦を知って

東郷
恐ろしさを感じた

と言う感想を残しています。

しかし、この作戦は失敗します。

土方歳三は多くの部下を失い、船を降り戦いは陸戦へと移行していくのです。

最期の叫び「我この柵にありて、退く者を斬る!」

土方歳三の存在は薩長連合を中心とする官軍にとっても非常にやっかいでした。

官軍は海戦に勝利し、函館上陸に成功します。

土方歳三は官軍がわざと鈴の音を鳴らし、包囲したとみせかけてますが、

「本当に包囲しているならば、気づかせないないようにするはずだと」冷静に状況を分析し、部下に対し反撃を試みさせます。

しかし、絶対的な兵力では官軍が圧倒的に上です。

次第に土方歳三のいる旧幕府軍は劣勢となっていきます。

土方歳三が守る二股口は粘り、官軍の侵攻を許さず、大いにてこずらせましたが、

やがて官軍の巨大な兵力が包囲を完成させようします。

土方歳三はこれ以上二股口を守ることに意味はないと悟り、五稜郭に撤退します。

そして、土方歳三は戦い続けました。

最期のときまで官軍を苦しめた土方歳三は、戦いの最中に馬上で抜刀し叫んだのです。

土方
我この柵にありて、退く者を斬る!

負け戦の中で、逃げてくる味方を切り捨てると宣言しました。

まさに、新撰組の鬼の副長は、最後まで「戦の鬼」であったのです。

しかし土方歳三はこう叫んだ直後に、銃弾を受けます。

腹部――

銃弾を腹部に受けることは当時、死を意味しています。

そして、土方歳三最後の戦いは終わりを告げました。

彼は函館後で戦死したのです。

 

その後の戦い

鬼神のような戦いぶりで、戦線を辛うじて支えていた土方歳三を失ったことで、

旧幕府軍は一気に瓦解がかいします。

土方歳三が最期を迎えた日から数日後に、

旧幕府軍は、薩長連合を中心とする官軍に降伏するのです。

 

きょうのまとめ

土方歳三についてエピソードを交え紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめます。

① 金持ちの農家出身。武士にあこがれていた

② 新選組を幕府に認めさせるため、鉄の掟、局中法度を作成

③ 新選組の鬼の副長として京都警護で力を発揮

④ 戊辰戦争の最後の戦場、函館五稜郭にて戦死

今でもファンの多い新選組。

好きか否かに関わらず、幕府側だった会津藩、新選組、倒幕派だった薩摩藩、長州藩、

それぞれの立場に立ってこの時代を回想してみると、見えてくる景色が異なります。

歴史に「もし」はありませんが、つい「もし」を考えたくなってしまうほど、

めまぐるしく政治が変わった時代ですね。
 
目次に戻る ▶▶
 

 

その他の人物はこちら

新選組のメンバーはこちらをどうぞ

関連記事 >>>> 「【新選組】特集はこちらをどうぞ」

江戸時代に活躍した歴史上の人物

関連記事 >>>> 「【江戸時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」

時代別 歴史上の人物

関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

12 − 6 =