新選組メンバー井上源三郎とはどんな人物?【完全版まとめ】

 

天然理心流では近藤勇の兄弟子であり、新選組の創設メンバー。

その命を終えるまで剣豪ひしめく組織の幹部隊士として活躍した

井上源三郎

しかし、なぜか人斬りのイメージからはほど遠い彼は、

一体どんな人物だったのでしょうか。

 

井上源三郎はどんな人?

  • 出身地: 武蔵国日野(現在の東京都日野市)
  • 生年月日: 1829年4月4日
  • 死亡年月日: 1868年1月29日(享年 40歳)
  • 新選組での役職 副長助勤、六番組組長、槍頭
  • 剣の流派: 天然理心流免許皆伝
  • 愛刀: 奥州白川住兼常(おうしゅうしらかわじゅうかねつね)
  • 墓: 東京都日野市日野宝泉寺
  • 殺伐としがちな最強の剣客集団・新選組の中で、近藤、土方、沖田らとは絶対的な信頼関係にあった心優しき幹部は、官軍の銃弾によってその命を終えた

 

井上源三郎 年表

年表

西暦(年齢)

1829年(1歳)
 武蔵国日野にて
 井上藤左衛門の三男として誕生

1860年(32歳)
 天然理心流免許皆伝

1863年(35歳)
 新選組結成

1864年(36歳)
 池田屋事件にて土方隊で活躍、
 8人の浪士を捕縛

1868年(40歳)
 戊辰戦争勃発後、
 淀千両松の戦いにて銃弾に倒れ、戦死

 

井上源三郎の生涯

ドラマや小説などで随分と年配の人物のように描かれることもある井上源三郎。

実際は近藤勇より5歳ほど年上なだけです。

「誠実」の言葉が似合う新選組幹部

多摩郡日野宿八王子千人同心(武蔵国多摩郡八王子に配置された警備と治安維持を目的とした幕臣集団)井上藤左衛門の三男として誕生しました。

諱(あざな)は一武(かずたけ)。

1847年頃、天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門しました。

近藤勇の兄弟子であり、土方歳三とも共に稽古に励みました。

1860年には、免許皆伝を受けています。

浪士組募集の時から近藤勇や土方歳三、沖田総司らと共に参加した新選組創設メンバーの一人で、幹部でした。

新選組六番隊組長を務め、仲間には「源さん」と呼ばれ親しまれていました。

同郷・同門の局長近藤や副長土方をよく補佐し、隊内では主として対外的な職務や要人の接待などの総務を担当。

任された職務をきっちり遂行する生真面目で誠実な人物でした。

派手な乱闘に参加したイメージのない井上ですが、1864年の池田屋事件では土方隊の支隊を指揮し、近藤隊が斬り込んだ知らせを受けると十人の部下と池田屋に入り、八人の浪士を捕縛する活躍を見せています。

努力が実り、幕臣となるも戦死

1867年6月、新選組隊士は幕府直参に取り立てられ、井上は副長助勤として七十俵三人扶持を与えられています。

しかしその後、大政奉還、王政復古の大号令と続き、1868年1月に鳥羽・伏見の戦いが勃発します。

伏見に屯所を移していた新選組は、淀まで退却。

1月5日、新選組は淀千両松で官軍と激戦を交え、その戦いの最中に井上は腹部に被弾し、亡くなりました。

享年40

甥であり、新選組で近藤勇の刀持ちを務めた井上泰助(当時12歳)が叔父である源三郎の首を持ち帰ろうとしますが、重くて運べず近くの寺院に埋めたとのこと。

今では正確な埋葬地は不明です。

彼の故郷、日野の宝泉寺に井上源三郎之碑と彼の墓があります。

 

参考: 「新選組のふるさと日野市観光協会」
宝泉寺、井上源三郎之碑

 

印象的なエピソード

伊達ではない天然理心流免許皆伝の腕前

天然理心流近藤勇の兄弟子であり、実は免許を受けたのも近藤より先だった井上源三郎。

剣の天才ではありませんでしたが、努力の末、十年かけて取った剣術免許でした。

天然理心流は通常の剣術だけでなく居合術や小太刀術、柔術、棒術も教え、実戦を重視し、戦いに勝つことを目的とした総合武術。

若く派手な剣客も多かった新選組において、井上の剣は目立つことはありませんでしたが、彼が体得していた戦いの術は、確かな筋のものでした。

そうでなければ、泣く子も黙る新選組の六番隊長は務まらなかったでしょう。

井上源三郎の性格

稽古の時間が近づくと、壬生寺で子供と遊びに夢中になっている沖田総司を呼びに行き、うんざり顔の沖田をたしなめたり、

沖田も通りがかった井上に

「また稽古ですか、熱心ですね」

と声を掛けたとか。

軽口をたたき合う2人のやり取りから、江戸で一緒に稽古に汗を流していた頃から続く家族のような関係が感じられます。

新選組屯所があった八木家の息子の八木為三郎は

「井上はその頃四十歳くらいで、ひどく無口な、それでいて非常に人の良い人でした」

と語っています。

温厚で若い隊士からの人望も厚かった彼は、決して出しゃばらず、自分の立場をよく理解して任務をきっちり遂行。

近藤勇、土方歳三からは絶大な信頼を寄せられていました。

一方で頑固な面もあり、一度言い出すとテコでも動かないところがあったのだそうです。

源さんの手紙

井上源三郎が実兄である松五郎に送った手紙が現存しています。

そこには

・近藤や土方、沖田など松五郎が知る新選組メンバーの無事

・将軍の上洛や長州征伐などの状況

・関東の豊作を喜ぶ言葉

などが見られます。

幕末、戦いに明け暮れる京の新選組の中にあって、素直に故郷の豊作を喜ぶ源三郎の優しく、素朴な性格がよくわかる話です。

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

井上源三郎についていかがでしたでしょうか。

井上源三郎とは?

簡単にまとめると

① 天然理心流の門人であり、近藤勇の剣術の兄弟子

② 新選組局長近藤勇と副長土方歳三、そして沖田総司らが、家族のような絶対の信頼を寄せる人物

③ 無口で誠実、若い隊士たちに慕われた心優しき新選組幹部・六番隊組長

と言えるのではないでしょうか。

その他にも新選組にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku 明石 白(akashihaku)Facebook https://www.facebook.com/akashihaku