NHKの2017大河ドラマ「おんな城主 直虎」で注目を集めている
井伊直政。
しかし井伊家と聞いて真っ先に思い浮かぶのは
幕末の大老・井伊直弼ではないでしょうか?
桜田門外の変とセットで歴史の教科書にも登場する有名人ですね。
しかし直弼も井伊家の血族です。
井伊直政の家系図からどう直弼に繋がっていくのでしょうか?
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井伊直政の家系図
井伊直政と井伊直弼はどう繋がっていくのでしょうか?
直政の家系図を見ていきましょう。
井伊直政の家系図と井伊直弼の関係は?
井伊直政
今川家の家臣であった井伊直親の子として生まれますが、
わずか2歳の時に、直親が謀反の疑いをかけられて殺されると、井伊家の当主となっていた直虎の養子となります。
徳川家康に仕えると、みるみる頭角を現します。
徳川四天王に数えられるほど徳川家にとってなくてはならない重臣となります。
江戸時代に任命された12人の大老のうち、半分が井伊家から選ばれていることからも
徳川家にとって井伊家がどれほど重要だったのか分かりますね。
また彦根藩の初代藩主でもあり、この血筋が井伊直弼へ続いていきます。
井伊直弼
井伊直弼は激動の幕末の大老です。
幕末を語る上でははずせない人物ですね。
直政から数えると13代後の井伊家当主となります。
日米修好通商条約に調印し、日本の近代化を推し進めました。
しかしこの日米修好通商条約は、日本に関税を決める権利がなく日本にとって不平等と言えるものでした。
さらに朝廷の許可もなくこの条約を結んでしまったため、諸藩や尊皇攘夷派と呼ばれる人たちからは不満が出ます。
それを力尽くで粛清したことから、かえって幕府に対する不満が高まることになってしまいます。
この粛清が吉田松陰などが殺されたことで有名な
「安政の大獄」です。
直弼にとっては幕府のためにしたことでしたが、この安政の大獄から倒幕へ日本の歴史は大きく動くことになってしまうのです。
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桜田門外の変とは
日米修好通商条約の締結や安政の大獄などの強引なやり方で、
直弼はかなりの反感をかっていました。
紀州藩の家茂と水戸藩の慶喜の時期将軍争いでは、直弼は紀州藩の家茂を選び、水戸藩を弾圧します。
自分の藩の藩主が弾圧されて黙っていられないのが水戸藩士です。
彦根藩邸から江戸城の桜田門までは約500mほど。
直弼が江戸城へ登城する途中に事件が起こりました。
脱藩した水戸藩士17名と薩摩藩士1名が、直弼の行列を襲ったのです。
籠に乗っていた直弼は、腰に銃弾を受けて動けずに居るところを籠の外から串刺しにされ、瀕死のところを引きずり出され首をはねられました。
江戸城の目と鼻の先で、大老が殺されるという事件は衝撃を与えました。
これが「桜田門外の変」 です。
きょうのまとめ
井伊直政の家系図は井伊直弼に繋がっていた、ということを見てきましたが、
いかがでしたでしょうか?
江戸幕府の始めから最後まで、
深く係わっていたなんてすごい家柄ですよね。
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