井伊直政とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

徳川家康に出仕するやいなや大出世を果たし、

徳川家臣団の中でも四天王とまで呼ばれる程になった

井伊直政(いいなおまさ)。

「 井伊の赤鬼 」などと呼ばれることもありますが、

彼はどんな人物だったのでしょうか。

一緒に見ていきましょう。

 

井伊直政はどんな人?

  • 出身地: 遠江国井伊谷(現在の静岡県浜松市)
  • 生年月日: 1561年
  • 死亡年月日: 1602年3月24日(享年 42歳)
  • 家康の天下取りを支えた猛将

 

井伊直政 年表

年表
西暦(年齢)

1561年(1歳)遠江国井伊谷に生まれる。(幼名、虎松)

1562年(2歳)父親の井伊直親が今川家の重臣によって殺される。

1568年(8歳)出家し、浄土寺に入る。

1575年(15歳)徳川家康に出仕する。

1582年(22歳)養母である井伊直虎が病死したため、井伊家当主になる。

1590年(30歳)上野国箕輪城主として12万石を拝領する。

1598年(38歳)高崎城を築城し、居城とする。

1600年(40歳)関ヶ原の戦いに参戦し、被弾する。

1602年(42歳)関ヶ原の傷が元で病死。

 

不運な幼少期を過ごすも、大出世を果たす

直政の父・井伊直親(いいなおちか)は、直政が2歳の時に仕えていた今川氏真(いまがわうじざね)に謀反の疑いをかけられ殺されてしまいます。

それからは今川の手から逃れるために、居場所をを転々とし出家までしています。

幼かった直政にとっては、辛い日々だったことでしょう。

15歳の時に徳川家康に仕えると、めきめきと頭角を現します。

本能寺の変では、家康の伊賀越えに付き従っていますし、小田原征伐の戦でも唯一、難攻不落といわれた小田原城内まで攻め込んだのが直政です。

このように勇猛果敢な直政を家康は信頼していたようです。

外様でありながら、直政が出世できたのは家康の寵童(ちょうどう)だったから、とも言われていますが実際のところは分かりません。

 

[関連記事: 禁断の仲?直政と徳川家康の関係とは?]

 

井伊直政にまつわるエピソードや伝説

井伊直政にまつわるエピソードや伝説をご紹介します。

超が付くイケメン

直政がイケメンだったという記録は多くの書物に残っています。

江戸幕府の公式記録である「 徳川実紀(とくがわじっき) 」にも「 容姿美麗で心優しい 」と書かれています。

公式の記録にも残るのですから、直政は本当にイケメンだったのでしょう。

秀吉が家康を懐柔(かいじゅう)するために、実母の大政所(おおまんどころ)と実の妹である朝日姫を人質に差し出してきました。

その時、2人の警護を勤めたのが直政でした。

美形の直政に、大政所や朝日姫だけでなく侍女までが喜んだと言います。

さらに見知らぬ土地で心細い思いをしないようにと、細やかな気配りをしました。

見た目だけでなく行動もイケメンだったんですね。

すっかり直政を気に入った大政所は、大阪へ帰る際も警護を依頼しました。

 

[関連記事: 超イケメン?!直政の死因とは?]

家臣にも恐れられた鬼

武田家が滅びた後、元武田家の家臣・山県昌景(やまがたまさかげ)の赤備えを引継いだことから「 井伊の赤備え 」の異名をとります。

赤い装束を身に纏い、勇猛果敢に先陣を切る姿から「 井伊の赤鬼 」とも呼ばれました。

敵方からしたら、相当恐ろしかったことでしょう。

しかし「 」だったのは敵にだけではありませんでした。

直政の軍は厳しいことで有名でした。

あまりの軍律の厳しさに、逃げ出す家臣も多く居たそうです。

ミスをした部下をすぐに手打ちにしたりしていたので、直政に呼ばれた家臣たちは家族と別れの杯を交わしてから、直政の前に参じていたという程です。

呼ばれただけで死を覚悟するとは、よほど恐ろしい上司だったんでしょうね。

直政は敵味方ともに「 鬼 」だったのです。

しかし元々敵軍だった武田家の家臣達を従えるに当たって、自分にも家臣にも厳しく当たるのは仕方がなかったのかもしれません。

 

[関連記事: 最強?!直政が率いた家臣たち] [関連記事: 鬼と呼ばれた直政の初陣は?]

徳川四天王との仲は?

直政が徳川四天王に数えられていることは有名です。

徳川四天王とは、本多忠勝(ほんだただかつ)、酒井忠次(さかいただつぐ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)に直政を加えた4人です。

直政を除く3人は家康を古くから支えた古参の家臣です。

そこに新参者が1人いるわけですから、あまり仲が良くなかったのでは?

と深読みしてしまいます。

実際に、具足が厚手過ぎると本多忠勝に批判を受けていたり、赤備えをめぐって榊原康政と揉めたりしています。

やっぱり不仲だったのか!と思いきや、関ヶ原の戦いの後には、四天王だけで酒を酌み交わしていたりしています。

榊原康政にいたっては、

自分が直政に先立って死ぬようなことがあれば、必ず直政も病になるだろう。また直政が先立てば、自分の死も遠くない

と言うほどの仲だったと言います。

始めはギクシャクしていた関係も、行動を共にするうちにお互いに信頼する仲になった、と言うことですね。

 

まとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

井伊直政についてまとめてみましたが、いかがでしたか。

井伊直政とは?


①家康に仕えると、大出世を果たす
 
②見た目も性格もイケメンだった
 
③自分にも他人にも厳しく「 井伊の赤鬼 」と呼ばれた 
 
④徳川四天王とは信頼しあっていた

 

その他の記事についても井伊直政にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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