井伊直政と徳川家康の関係は?

 

大河ドラマでは人気俳優の菅田将暉さんが演じることでも話題になり、

人気急上昇中の武将と言えば井伊直政(いいなおまさ)ですね。

不遇な少年時代を送りながらも、

徳川家康と出会ったことで一気に歴史の表舞台で活躍する戦国武将へと成長しました。

家康から最も信頼されていたとも言われています。

2人がどんな関係だったのか気になりませんか?

調べてみたので、一緒に見ていきましょう。

 

直政と家康はどんな関係だったのか

直政と家康はどんな関係だったのでしょうか?

2人の関係についてご紹介します。

直政と家康は親戚

井伊家と家康には実は深い繋がりがあるのです。

家康の正室である築山殿(つきやまどの)は、井伊直平(いいなおひら)の孫娘です。

家康は井伊家から正室を迎えていたのです。

井伊直平は井伊直虎(いいなおとら)の曽祖父ですから、直虎の父親である直盛(なおもり)とはいとこ同士です。

築山殿からすると直虎は、いとこの子供という事になりますね。

そして直虎の養子が直政ですから、大きく見れば親族とも言えなくはないのです。

少なくとも、妻の親族であることは間違いありません。

家康と直政がこんなところで繋がっていたとは、驚きですね。

家康と直政の出会い

直政は15歳の時に鷹狩りに来ていた家康と出会い、

そこで自分の出自を明かしたことで300石で召抱えられたと言われています。

家康は元々、三河の小さな豪族・松平家の嫡男として生まれました。

周りを有力な大名に囲まれていたため、同盟のために家康も幼少の頃から、今川家や織田家など転々とした人質生活を送ってきました。

家康が今川家に人質に出されたのは、わずか6歳でした。

また母の家が織田家と同盟を組んだことで、今川家に庇護されていた松平家の正室にはふさわしくないと離縁されてしまったため、

家康は3歳で実の母親と生き別れになってしまいます。

このように苦労人であった家康は、直政の置かれている立場を聞いて自分の幼少期と重なって見えたのかもしれません。

実際に、それまで虎松と名乗っていた直政に自分の幼名から1字とって

「 万千代(まんちよ) 」という名前を与えています。

これは当時としては、とても名誉なことなのです。

2人は禁断の仲だった?

直政はとても見目麗しかったと言われています。

「 徳川実紀(とくがわじっき) 」と言われる、江戸幕府公式の記録にも、「 井伊直政は容姿は美しく、心も優しい 」と書かれています。

また「 家康は初めて見た時に直政を見初めた 」と書かれた記録も残っています。

そんな若くて美しい直政と家康は禁断の関係にあったと言われているのです。

男同士の関係を「衆道(しゅうどう)」と言いますが、当時は武将の嗜みとして普通のことでした。

織田信長や武田信玄にも、そういう相手がいたとされています。

主従の絆を深めるためにも一般的なことだったんですね。

 

きょうのまとめ

直政と家康の関係についてまとめてみましたが、いかがでしたか?

親戚だったにせよ、衆道の間柄だったにせよ、

家康と出会ったことで直政の運命が開けたことは事実です。

まさに運命の出会いではないでしょうか。

 

[関連記事]

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

thirteen + 20 =