鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は天皇自らが政治を行う、建武の新政がスタートさせました。
天皇が政治を行うことを「親政」といいますが、建武のシンセイは「新政」と書きます。
つまり、新しい政治であることが強調されているのです。
おそらく後醍醐天皇自身が新たな時代の到来に、一番胸を躍らせていたのではないでしょうか。
ですが、そんな建武の新政は3年も続きませんでした。
建武の新政とはどういった政治だったのか、そしてなぜ大失敗に終わったのかということについて、簡単に紹介していきます。
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建武の新政とは?
そもそもなぜ「後醍醐」天皇と言うのか、ご存じでしょうか。
平安時代に醍醐天皇(在位897~930年)という天皇がいて、その時代は天皇親政がうまく機能していました。
醍醐天皇と村上天皇が親政を行っていた時代を「延喜・天暦の治」と呼び、後醍醐天皇はこの時代を理想としていたのです。
そこで自分の諡号(貴人や高徳の人に、死後おくる名前。おくりな。)を後「醍醐」にするよう、言い残していました。
「建武の新政」年表
【1333年】
- 6月 光厳天皇を廃する。記録所・恩賞方の設置。個別安堵法(旧領回復法)を出す。
- 7月 諸国平均安堵法を出す。
- 9月 武者所・雑訴決断所の設置。
【1334年】
- 1月 建武に改元。大内裏造営・紙幣の発行を計画。
- 3月 乾坤通宝の鋳造を計画。
【1335年】
- 7月 中先代の乱が起こる。
- 8月 足利尊氏、鎌倉へ下向。
- 12月 足利尊氏、建武政権に反旗を翻す。
建武政権の機構
【中央】
- 記録所:一般政務を担当した、建武政権でも重要な機関
- 恩賞方:武士たちの恩賞を取り扱う機関
- 雑訴決断所:土地の訴訟を取り扱う機関
- 武者所:京都の治安維持を担当する機関
【地方】
- 鎌倉将軍府:関東の統治のため、鎌倉に置かれた機関
- 陸奥将軍府:奥州統治のため、多賀城跡に置かれた機関
- 国司・守護:両者を併置した
建武の新政が大失敗した理由
武士の不満①公家ばかり優遇
鎌倉幕府によって、隠岐に流されていた後醍醐天皇。
幕府が滅亡し、1333年6月に京都に戻ってきました。
そして同年には、記録所や恩賞方、雑訴決断所といった機関を設置します。
しかし、それらに登用されたのは公家ばかり。
武士からは楠木正成・新田義貞など、少数の者に限られていました。
さらに、倒幕に対する恩賞を貰えたのは足利尊氏クラスの者のみ。
下のほうの武士たちは、ほとんど恩賞を与えられませんでした。
それどころか後醍醐天皇は、公家や朝廷勢力に多くの土地を分け与えてしまったのです。
これには武士たちは、当然不満に思うでしょう。
実際に血を流して、鎌倉幕府と戦ったのは自分たちなのですから。
武士の不満②個別安堵法の公布による混乱
さらにこの年の6月、「個別安堵法(旧領回復法)」が公布されます。
個別安堵法とは、綸旨(※)によって土地の所有権を保証するというものです。
※綸旨:天皇の仰せを受けて蔵人所から出した文書。
それまでの慣習とは全く異なる方法だったため、武士たちは反発。
当然、世の中は大混乱に陥ります。
当時の混乱ぶりは「二条河原落書」という、秀逸な落書の中にも見ることができます。
此比都ニハヤル物
夜討強盗謀綸旨
(引用:京都市文化史08「二条河原落書」https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka08.html#1)
この大混乱に加え、そもそも天皇自らが各所領について綸旨を下していく、というのは無理な話でした。
そこで翌月には、「諸国平均安堵法」という諸国の国司に委任する法を公布。
まさに、朝令暮改とはこのことです。
武士の不満③大内裏の造営による負担
この翌年には、天皇の権威を誇示するため、後醍醐天皇は13世紀初頭に焼失したきりだった大内裏の造営を計画。
そして武士たち(その下の農民たちも)は、そのための費用の負担を余儀なくされました。
このように、建武の新政に対する武士たちの不満は募るばかり。
一度は後醍醐天皇の味方をした武士たちでしたが、幕府再興を目指す足利尊氏を支持する流れへと変わっていったのです。
なお、摂政・関白ですら置くことがなかった建武の新政は、公家からも不評だったと言われています。
きょうのまとめ
今回は、後醍醐天皇による「建武の新政」について簡単に紹介しました。
② 建武政権で重用される武士は少なく、恩賞もあまり貰えなかった。→足利尊氏支持へ
③ 建武政権は摂政・関白を置かなかったので、公家たちからも評判は良くなかった
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