平安中期に朝廷で活躍した権大納言
藤原行成。
彼は優秀な官吏であったと同時に、非常に達筆でした。
当時を代表する書道家の中で3本の指に入る三蹟の一人に数えられています。
行成の現存する書跡には国宝に指定されているものもあるほどです。
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三蹟・藤原行成
藤原行成の筆跡のことを「権蹟」と呼びます。
これは、行成の生涯における最高官位が権大納言だったからです。
三蹟とは
三蹟とは、小野道風、藤原佐理、そして藤原行成のことです。
平安時代初期までは、力強く雄々しいイメージの中国風の書道が主流でしたが、
日本の国風文化が発展していくのと同時に、これら3人の能書家の活躍により、日本風の優雅な和様書道が作り上げられました。
小野道風が始めた和風書道は、藤原佐理によって継承・発展し、藤原行成によって円熟・大成したのです。
これら3人が「三蹟」と呼ばれるようになったのは、江戸時代の貝原益軒が3人をそう呼んだのが、最初とされています。
しかし、平安時代の末期には、すでにこの3人が書において突出していたことが記録に残っています。
行成が憧れた書の達人とは
1003年(長保5年)11月25日付の日記『権記』には、藤原行成が憧れの書の達人が夢に出てきたことの記述があります。
その憧れの人とは?
夢の中で道風に逢い、書法を授けられた
記述にあるように、行成の憧れの人は同じ三蹟の小野道風でした。
憧れるだけでなく、結果的に自分も憧れの人と並んで三蹟に加わったわけですから、さすがです。
朝廷のイベントに華を添える行成の書
行成は書家であると同時に、エリート官僚でもありました。
そのため多くの朝廷の催し事に携わりましたが、本来の事務作業とは別に、彼の達筆が披露される機会もあったようです。
例えば、当時の権力者・藤原道長が初めて参内する娘・彰子のために屏風を新調したときのこと。
道長は、その屏風を飾る和歌を詠むよう歌人たちに命じました。
その和歌を色紙形に清書するのが、藤原行成の役割だったことが、『大鏡』という歴史物語に記述されています。
このように、行成は何かと朝廷では「清書係」として重宝されていたようです。
朝廷のみんなが狙う、行成の書
憧れられ、人気のあった藤原行成の書は、多くの貴族たちが何とか手に入れたいと思っていたようです。
熱狂的なファンの中には、それを入手するためになりふり構わない人も。
原本よりも行成の写本のほうが欲しかった藤原道長
比叡山に隠遁していた天台宗の僧・源信によって書かれた、極楽往生に関する仏教書『往生要集』という本がありました。
藤原道長にそれを借り、写本をしたあとに行成が原本を返却しようとした時のこと。
道長は
「原本は差し上げるので、あなたが写本したものを戴けないか」
と言ったのだとか。
中宮定子も狙う行成の手紙
あの清少納言は、一条天皇の皇后である定子に仕える女房でした。
実は、清少納言と藤原行成との間には、恋愛感情とも友情ともつかない親しい関係があったと考えられています。
そんな仲の清少納言は、行成から手紙をもらうこともありました。
なんとその手紙まで、行成の文字に憧れる貴人たちに狙われていたといいます。
『枕草子』には、著者・清少納言の主人である定子や定子の弟であり、一条天皇の側近僧だった隆円に、手紙が渡ったことが記録されています。
隆円などは、額を床に付けるように土下座までして、清少納言から行成の書をもらったとか・・・。
いかに行成の書が人気があったのかがわかりますね。
藤原行成の書跡作品
1000年も昔に書かれた藤原行成の直筆作品をご紹介しましょう。
実は、行成の真筆と認定されている作品は全て漢字ばかりです。
ひらがなで彼の直筆だと確定されたものはまだありません。
現存する作品は国宝にも!行成の書
幸運なことに、平安貴族たちだけにもてはやされた行成の書のいくつかが現存しています。
その中には国宝となっているものもあるのです。
【『白氏詩巻』国宝/東京国立博物館蔵】
行成が白居易の漢詩を書写したものです。
漢詩ですから、ひらがなはなくて漢字ばかりですが、奈良時代から平安初期までの中国風の男性的な「唐樣」の筆遣いとは明らかに違い、「和様」と呼ばれる柔らかな日本らしい書です。
日本書道史上に輝く達筆であり、バランスの良い字形と美しい流麗な筆遣いにその特徴が現われています。
【『本能寺切』国宝/本能寺蔵、京都国立博物館寄託】
菅原道真、小野篁、紀長谷雄らの漢文を和様の書法で書いたものです。
『本能寺切』の名前は、本能寺に伝来していたことによります。
「切」というのは、元の作品が分割された書のことです。
現在は京都国立博物館に寄託されています。
行成の作品は他にも
・敦康親王関係文書/三の丸尚蔵館蔵
・書状/重要文化財/東京国立博物館蔵
などが残されています。
行成の書の流派・世尊寺流
行成が大成した和様の書道流派があります。
彼が晩年に隠遁した邸宅内に建立された世尊寺にちなんだ流派名は「世尊寺流」。
朝廷や貴族たちの間では当時最も権威のある書道の流派となりました。
藤原行成の子孫たちは、この格式ある流派を継ぎ、書道の家系・世尊寺家として初代の行成から17代まで続いていきました。
きょうのまとめ
今回は平安中期に活躍した三蹟のひとり藤原行成の書やそれにまつわるエピソードをご紹介しました。
簡単なまとめ
① 名筆の藤原行成は小野道風・藤原佐理と並ぶ三蹟として、和様の書道を大成させた
② 当時の貴族階級の多くが行成の書に憧れ、現存する作品は国宝になったものもある
③ 藤原行成が大成した和様書道の流派は「世尊寺流」と呼ばれる
藤原行成の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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・藤原行成集[白氏詩巻・本能寺切] (日本名筆選 40)
【内容紹介】
平安貴族が愛読した白氏文集から詩九篇を抄写した白氏詩巻は、様々な色の染紙を連ねた美しい一巻で、行成の代表的な遺品である。他に本能寺切を併載。
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