伊達政宗の隻眼。その理由とは?

 

伊達政宗が片目の武将であることはよく知られています。

(ちなみに右目に眼帯を巻いている姿はフィクションだそうです。史料には眼帯を巻いていた事実は記載がありません。)

どうしてそのような状態になったのでしょうか?

気になるところですね。

今回は政宗の隻眼(せきがん)の秘密を書きます。

 

隻眼のいきさつとその後の飛躍

隻眼になった原因

伊達政宗が右目の視力を失ったのは、天然痘(てんねんとう)にかかったためと言われています。

天然痘の膿が目に入って、失明したと考えられます。

一説には右目が飛び出した状態になったと伝えられています。

今でこそ、天然痘は地球上からほぼなくなりましたが、当時はありふれた病気で多くの人が罹患(りかん)して命を落としました。

政宗は命が助かった代わりに右目の視力を失ったのです。

醜い容姿になった政宗は暗い性格になったと言われています。

見かねた家来の片倉小十郎が政宗の右目を切り落としたそうです。

以来、政宗は自信を取り戻したと伝えられています。

「独眼竜政宗」はこうして誕生したのですね。

隻眼の武将は他にいたか?

政宗と同年代の武将で隻眼の武将を探してみたところ、前田利家に隻眼の可能性があります。

1560年の桶狭間の戦いで目を負傷したという記録があるのです。

敵の矢を受けたのかもしれません。

肖像画からはそのような様子は見られませんが、当時の医療水準からすると矢を目に受けたら失明したでしょう。

少なくともまともな視力は戻らなかったはずです。

戦場の負傷で隻眼になったケースは案外あったのではと思われます。

ただ、政宗のように病気で隻眼になったのはレアケースではないでしょうか。

勇猛果敢な武将

みなさん、片目をつぶってものを見てください。

かなり疲れるし、見えにくいですね。

政宗はそんな状態で幾多の戦場に身を置きました。

隻眼では敵と遭遇した時にかなりのハンディがあったと思われます。

それをものともせず、彼は果敢に戦いました。

「隻眼」というハンディをバネにしていたとも言えるでしょう。

自分に向けられる刃や槍の切っ先に、彼はどんな思いで対峙したのでしょうか。

泉下(せんか:死後の世界。あの世)の政宗に聞いてみたいですね。

 

きょうのまとめ

昔の映画では伊達政宗が刺客に襲われて隻眼になったというものがありました。

どうもこれはフィクションのようです。

天然痘という病による失明である可能性が極めて高そうです。

「独眼竜政宗」と呼ばれた彼はその才をいかんなく発揮し、幾多の戦いや政治的なピンチを乗り越えました。

三代将軍・徳川家光からは「伊達の親父殿」と呼ばれていたそうです。

仙台藩62万石の基礎を築き、その子孫は現代につながっています。

障害をバネに大きく飛躍した人生だったと言えそうです。

 

伊達政宗の年表を含む【完全版まとめ】こちらをどうぞ。
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