伊達政宗の兜に込められた意味

 

戦国時代の武将といえば、個性的なですね。

一口に「兜」と言っても、形状には由来があります。

伊達だて政宗まさむねの兜もまた個性的な形で有名です。

その由来と歴史について、みていきましょう。

 

伊達政宗の兜に込められた意味

伊達政宗

伊達政宗
出典:Wikipedia

伊達政宗の兜とは?

戦国時代最後の英雄と言える伊達政宗ですが、彼の愛用した兜の形をご存知ですか?

彼の兜は大きな「三日月の前立て」をつけた黒い兜で知られています。

5枚の鉄板を重ねて強度を出しています、

黒漆を塗った筋兜で、前立ては金色に塗られた三日月です。

なかなか印象的なデザインになっています。

銘には「宗久」の名が刻まれています。

ちなみに後の仙台藩歴代藩主の兜にも月が用いられていますが、こちらは半月になっています。

三日月の由来

この三日月の前立てを決めたのは政宗ではなく、父である輝宗だったと言われています。

輝宗は政宗誕生の際に彼の旗印を白地に赤丸と決めました。

その旗印は「白地赤日の丸旗」と言われ、

「太陽」をイメージしていました。

現在の日本国旗に似たデザインです。

その旗印に合わせて兜の前立てを「月」に決めたのだと伝えられています。

太陽は仏教用語で金剛界こんごうかい胎蔵界たいぞうかいを意味します。

いずれも仏教の曼陀羅まんだらを指しています。

「曼陀羅」とはこの世の理を説いているとされていたことから仏の加護に通じます。

輝宗はわが子の武運長久を願っていたことでしょう。

前立てが三日月になった由来については太陽と区別するため、三日月にしたものと推察されます。

月が満ちていくように大願成就する様を輝宗は夢見ていたのかもしれません。

政宗の辞世の句をご存知ですか?

「曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」

輝宗から受け継いだ兜の前立て、三日月は彼の生涯を照らし続けたことでしょう。

兜の所在

仙台藩伊達家に代々受け継がれてきた具足が1951年、仙台市に寄贈されています。

1974年の伊達家墓所発掘の際にも、三日月の前立てが付いた兜を含めた具足が出土しています。

この時に出土したものは政宗が19歳の時に「人取り橋の合戦」で着用した可能性があります。

もし、この話が本当であれば政宗が実際に着用した兜が現存している証になります。

この発掘で、三日月の前立てが付いた兜が政宗の愛用したものであることが明白になりました。

 

きょうのまとめ

三日月の前立てには仏の加護を意味するサインが隠されていました。

ただの派手好きで三日月の前立てを選んだのではなかったのです。

そこには父・輝宗のわが子にかける期待の大きさがうかがえます。

政宗はその期待に応え、仙台藩62万石の礎を築き、その血脈は現代に続いています。

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