張飛とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

張飛ちょうひは劉備にとても忠実で、

挙兵当初から付き従っていたとても強い武将として日本でも親しまれています。

今回は張飛がどんな人物だったのか、

彼の武勇にまつわるエピソードと合わせて紹介します。

 

張飛はどんな人?

プロフィール
張飛ちょうひ

清代の書物に描かれた張飛
出典:Wikipedia

  • 出身地:中華人民共和国保定市
  • 生年月日:168年
  • 死亡年月日:221年(享年53歳)
  • 劉備玄徳の挙兵当初から付き従っていた、一騎打ちがとても強い中国上六十四名将の一人

 

張飛 年表

年表

西暦(生年月日不詳)

168年(0歳)中華人民共和国保定市で誕生

184年(16歳)劉備が黄巾こうきんの乱で挙兵。劉備の身辺警護を務める

191年(23歳)劉備、平原郡の相に就任。このとき、張飛は一軍を率いる将に昇格

196年(28歳)劉備から下邳郡かひんぐんの留守を任されるが、下邳郡の相であった曹豹そうひょうと対立。劉備を裏切った呂布ろふと曹豹が協力して攻めてきたため、張飛は敗北

200年(32歳)曹操の臣下であ夏候覇かこうはの従妹を捕まえて妻にする

208年(40歳)長坂ちょうはんの戦いで劉備を救い、武功を立てる

212年(44歳)諸葛孔明しょかつこうめい趙雲ちょううん劉封りゅうほうと共に益州に攻め込み、その土地を平定

221年(53歳)劉備、蜀漢しょくかんを建国。張飛は西郷候に昇進。

221年(53歳)劉備が呉への侵攻を開始し、協力を決意

221年(53歳)進軍準備を進めていた夜に、部下の張達と范彊に暗殺される

 

武勇に優れていたが、最後は部下によって暗殺される

厚い忠誠心

張飛は劉備をすぐそばで守り、いつでも彼に付き従った忠誠心の厚い将軍でした。

また張飛は、劉備の忠実な部下として名高い関羽とも深い親交があり、

関羽の方が少し年上であったため、関羽のことも兄のように慕っていました。

このように劉備と関羽を兄のように慕い、

とても良い関係を築いていたという記述も多く残っています。

張飛と関羽は共に劉備の身辺警護を務めたこともあります。

その優れた武功と劉備に対する厚い忠誠心から、

「中国上六十四名将」

にも選ばれていて、特に優れた武将と評価されています。

長坂の戦いでは、曹操が少数精鋭を集めて劉備を追ってきた際に、

張飛の迫力によって相手の士気が下がり、劉備は難を逃れることができました。

221年に劉備玄徳が蜀漢を建国すると、

張飛は西郷候に任命されて昇進しました。

同年、劉備玄徳が呉に侵攻することを決意すると張飛も協力します。

張飛の最期

素晴らしい武勇伝を数多く持つ張飛ですが、

残念なことに劉備のように身分の低い者達を思いやることができませんでした。

相手の身分により大きく態度を変えてしまう張飛を、劉備はとても心配し何度も態度を改めるように伝えていたとされています。

結局、身分が低い者を見下し過剰な罰を与えたり、身の周りの世話をさせるというような横暴な振る舞いを改めなかった張飛は、

身近にいた部下の張達ちょうたつ范彊はんきょうによって暗殺されます。

張飛が命を落とす原因になったエピソードについては、三国志演義に以下のように記録されています。

張飛は張達と范彊に対して、

張飛
3日以内に白装束を用意しろ

と命令を下していました。

3日以内に白装束を用意することが不可能だと判断した張達と范彊は、張飛に対して延期を申し出ます。

しかし、張飛はその進言を聞き入れませんでした。

さらに、張達と范彊が進言をしたときに運悪く張飛は酒を飲んで酔っていたため、

張達と范彊は棒でたたかれてしまいます。

その上

張飛
期日までに用意することができなければ、斬る

と張飛から脅された張達と范彊は、協力して張飛を暗殺することを計画したのです。

この計画により、張達と范彊に寝ているところを襲われ、

張飛は命を落とすことになりました。

 

張飛にまつわるエピソードや伝説

ここからは、張飛が武功を立てたことでとても有名な、

長坂の戦いのエピソードと、どれほど張飛が強かったかが分かる伝説を紹介します。

気迫で敵軍の士気を下げた

まずは長坂の戦いでのエピソードを紹介します。

長坂の戦いは、曹操が少数精鋭を集めて劉備を追ってきたことから始まった戦いです。

この戦いの際に劉備は迫りくる曹操の迫力に恐れをなして、自分の妻と長男を捨てて逃げようとしました

張飛は向かって来る曹操軍に対し、劉備を逃がすために、二十騎ほどを率いて挑んでいきました。

川にかかっていた橋を切り落として、相手軍に対して

張飛
我こそは張益徳である。俺と死を決したい奴はいるか

と叫びます。

あまりの張飛の迫力に、敵軍は誰も張飛に近づこうとはしなかったそうです。

このエピソードから分かるように、張飛の武勇は曹操軍からも高く評価されていました。

一騎打ちの名人

張飛はとても一騎打ちが強かった武将です。

関羽と互角に戦うほどの実力を持っていた武将である紀霊きれいを一騎打ちで打ち取るほどの実力を持っていました。

さらに、曹操軍でも屈指の武勇を持つ許褚きょちょにも、張飛は一騎打ちで勝っています。

一騎打ちに優れていた張飛は身長も約184cm虎髭を生やしており、声は雷のようだったという記述も残っていて、どれほど張飛が将軍として高く評価されていたかが、よく分かります

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

張飛についていかがでしたでしょうか。

張飛とは?簡単にまとめると

① 劉備玄徳の挙兵当初から付き従った武将

② 中国上六十四名将に数えられるほどの武功の持ち主

③ 身分の低いもの達を思いやることができず、部下によって暗殺された

と言えるのではないでしょうか。

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よろしければどうぞ御覧ください。

 
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