千年ライバルやってます。紫式部vs清少納言
『源氏物語』と『枕草子』といえば作品も作者も比較の対象となりがちですね。 これ、もう1000年以上続いてることなんです。 ここでは、そのお約束通りそれぞれの著者、紫式部と清少納言という平安文学の代表二人につ…
『源氏物語』と『枕草子』といえば作品も作者も比較の対象となりがちですね。 これ、もう1000年以上続いてることなんです。 ここでは、そのお約束通りそれぞれの著者、紫式部と清少納言という平安文学の代表二人につ…
平将門、崇徳天皇とともに日本三大怨霊として知られる 菅原道真すがわらみちざね。 怨霊とは自分が受けた仕打ちに対し恨みを持ち、その死後もたたりをもたらす存在のことです。 今回取り上げる菅原道真の怨霊は、天災を…
死後、その祟りをおそれられたという 菅原道真すがわらみちざね。 しかし、時とともにその恐ろしい怨霊のイメージよりも、生前の彼の優秀さがクローズアップされるようになりました。 そして今では学問の神さまとして道…
政敵の讒言ざんげん(人を陥れるための告げ口)によって 無実の罪で左遷された菅原道真すがわらみちざね。 彼の左遷直前に作られた歌とそれにまつわる花の話しをご紹介します。 梅が好きだった菅原道真 …
天満宮、とは天神さまを祀った神社です。 天神さまとは菅原道真すがわらのみちざねのことです。 一つの神社に祀られることだけでも大したことなのに、 道真は全国の天満宮に祀られているスゴイ人物です。 …
木曽義仲きそよしなかには、妻や側室が数人います。 ここでは義仲と関わった女性の中でも特に知られた3人についてご紹介します。 藤原伊子(ふじわらのいし 1167年-1207年) 伊…
木曽義仲きそよしなかこと源義仲は、同じ源氏の源頼朝や源義経と比べるとそれほど知られていないかも知れません。 最後には琵琶湖のほとりで討ち死にした彼ですが、義仲こそが紛れもなくあの栄華を誇った平家を京から追放…
木曽義仲きそよしなかは1183年に入京し、平氏を追放しますが、木曽の山育ちの彼は京の公家たちにはひどく不人気でした。 何か義仲の性格に問題でもあったのでしょうか? 木曽山育ちの義…
木曽義仲きそよしなかの対平家の戦さの中で、 一番知られたものがこの倶利伽羅峠くりからとうげの戦いでしょう。 1183年に越中(富山)・加賀(石川)国の国境にある砺波山となみやまの倶利伽羅峠で繰り広げられた木…
木曽義仲が琵琶湖のほとりで討ち死にした後、義仲の近親者たちにも命の危険が及ぶようになります。 記録は明確ではありませんが、義仲には4人の息子と1人の娘がいたとされています。 彼ら、そしてその子孫たちはどんな…