カエサルとクレオパトラが結ばれた理由は?国のために奔走する女王

カエサル

 

紀元前1世紀、ローマの長として圧倒的な権力を誇っていたカエサル

彼がエジプトに訪れた際、クレオパトラがカエサルを誘惑してしまった話は有名ですね。

ただ誘惑しただけなら、世界三大美女として名高いクレオパトラにとっては取るに足らない話です。

この出来事のすごい部分は、カエサルが元々エジプトに対して良いイメージを持っていなかったということ。

そしてクレオパトラはエジプト内でも追放されるなど、不利な立場にあったのです。

そのハンディキャップをも覆してしまったクレオパトラとは、一体どんな人物だったのでしょうか。

また二人はどんな出会い方をし、その関係が周囲にどんな影響を及ぼしていったのでしょう。

 

カエサルとクレオパトラの出会い

ローマの勢力に押されていたエジプト

当時のエジプトはギリシャの文化を引き継ぐプトレマイオス朝。

アレクサンダー大王の部下、プトレマイオスが創始者となった国家です。

独自の文化を持つ国家として根強く存続していましたが、当時勢いを急激に増していたローマの存在を脅威に思い、存続の危機を感じていました。

このときローマ内戦で、カエサルに敗れたポンペイウスがエジプトへ逃げてきます。

ローマを敵に回したくなかったエジプトは、ポンペイウスを謀殺してカエサルのご機嫌を取ろうとしました。

しかしこのことが返ってカエサルに不信感を抱かせることになります。

なんというか、下心が見え透いていますよね…。

夫の幼さを利用していた宦官に反発していた

そのときエジプト国内で繰り広げられていたのは、クレオパトラと夫のプトレマイオス13世による権力争い。

クレオパトラが夫に反発していた理由は、彼の周りの大人たちにありました。

プトレマイオスは当時10歳と幼く、政治のことなど何もわかっていませんでした。

これを宦官かんがん(王の身の回りの世話をする家臣)たちに利用されていたのです。

それに反発した結果、クレオパトラはエジプトを追放されていました。

この仲たがいを取り持とうと立ち上がったのがカエサル。

丁度エジプトを訪れていた彼が、プトレマイオスとクレオパトラを首都のアレクサンドリアに呼び出し、話し合いの機会を設けようとしたのです。

クレオパトラとしては、なんとしてもカエサルを味方につけたいところでした。

カエサルに会うことは困難…クレオパトラが取った行動は?

宦官たちはプトレマイオスをよこしまな考えで利用しているのだから、クレオパトラがカエサルに事情を話せば不利になってしまいます。

クレオパトラは宦官たちによって、話し合いに来れないようにと邪魔されていたのです。

さらにカエサルを取り巻く護衛も固く、話し合い当日以外に会うことも困難に思われていました。

ここからが有名な逸話。

クレオパトラは護衛をかいくぐるべく、従者の手で、シーツに包まれた贈り物としてカエサルの元へ届けさせるのです。

贈り物だと思っていたのに、寝室に突如として美女が現れたことに呆気にとられ、カエサルはクレオパトラのとりことなってしまったのでした。

これを経てクレオパトラとプトレマイオスは、和解するよう仲を取り持たれるのですが、それをよく思わなかったプトレマイオス側がカエサルを攻撃。

結局はカエサルの返り討ちに遭い、プトレマイオス13世も殺されてしまうのです。

カエサルが惹かれたのはクレオパトラの容姿ではない

クレオパトラは絶世の美女として描かれますが、カエサルが惹かれたのは彼女の容姿ではありません。

自分に会うのが困難な状況を乗り越えた知性

そして固い護衛の中をかいくぐろうとした勇気からでした。

クレオパトラは学問の素養も高く、十以上の言語を話せたりと、高い知性を誇っていたことで知られています。

カエサルだけでなく、数々の男性が彼女に魅了された理由も容姿ではなく、その知性と行動力にあるのではないでしょうか。

 

ローマではあまり好かれなかったクレオパトラ

クレオパトラ

その後クレオパトラはカエサルが味方についたこともあり、エジプト内で権力を独占していました。

そして紀元前46年に、カエサルが終身独裁官の地位についた際、息子のカエサリオンと共にローマに呼び寄せられることになります。

カエサルをとりこにしたクレオパトラですが、ローマ市民からの受けはイマイチだったんですよ。

カエサルには正妻がいた

クレオパトラの息子、カエサリオンはその名の通りカエサルとの間に生まれた子供。

カエサルを誘惑したクレオパトラは、彼がエジプトにいる間に子供をもうけていたのです。

このときカエサルには正妻がおり、息子はいませんでした。

それなのに別の地で息子を作っていたとあっては、ローマの人たちはいい気がしないですよね。

当時のエジプトの文化が嫌われていた

また当時のエジプトの文化は快楽を重んじる部分があり、ローマ市民からははしたないと軽蔑されていました。

クレオパトラがカエサルを誘惑したことにしても、市民にはふしだらに映っていたのではないでしょうか。

これらもあって、カエサルが暗殺された後、ローマでの居心地の悪さを感じたクレオパトラは、息子のカエサリオンを連れてエジプトへ帰ってしまうのでした。

 

カエサルの死後もローマの権力を利用しようとした

罪に問おうとしたアントニウスを誘惑

カエサルが死んだ後も、クレオパトラとローマの因縁は続きます。

カエサル暗殺のリーダーを務めた、マルクス・ユニウス・ブルータスが国外へ逃げていたのですが、紀元前42年にローマを攻撃。

フィリッピの戦いを巻き起こします。

このときなんと、クレオパトラ率いるエジプトはブルータスの側を支援しているのです。

(元夫を暗殺した人間を支援するなんて…!)

結果はブルータス側の敗北に終わるのですが、これによりクレオパトラはカエサルの元腹心、アントニウスによって罪に問われることになります。

しかし罪に問うつもりをしていたアントニウスをも、クレオパトラは美しく着飾り、豪勢な宴席を用いて誘惑してしまうのです。

またしてもローマの権力者を自分の手中に収めてしまうわけですね。

ローマを捨てたアントニウスにオクタウィアヌスが激怒

すっかりクレオパトラに首ったけのアントニウス。

彼はエジプトの力を借りて、東方遠征を成功させる功績を残しますが、なんとその凱旋式を故郷のローマではなくエジプトのアレクサンドリアで挙げてしまうのです。

また「自分のお墓もエジプトに作ってほしい」なんてこともいっており、すっかりローマのことを忘れてしまったかのような振る舞いを見せます。

これに対してカエサルから後継者としてローマを任されたオクタウィアヌスは激怒

元々後継者の地位を巡って二人が争っていたこともあり、オクタウィアヌス軍とアントニウス、クレオパトラ軍の戦いが繰り広げられます。

最後はオクタウィアヌスに追い詰められ、アントニウスとクレオパトラは二人そろって自害

その生涯を終えるのでした。

自殺に際しても、クレオパトラは毒蛇に自分を噛ませて死んだなんて逸話もありますが、真意は定かではありません。

 

きょうのまとめ

優れた知性と美貌を武器に、数々の権力者の力を我が物にしてきたクレオパトラ。

カエサルとの関係を簡単にまとめると、以下のような感じでしょうか。

① エジプトで不遇の扱いを受けていたクレオパトラは、カエサルの権力で返り咲いた

② ローマ市民からは二人の関係はよく思われなかった

③ カエサルの死後も、ローマの権力を手に入れようとする動きは続いた

エピソードを辿ってみるとクレオパトラは国の存続のために奔走していたんだな…と映ります。

権力者への振る舞いから悪女として扱われることも多い彼女ですが、本当は誰よりも国想いな女性だったのではないでしょうか。

 
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