ガイウス・ユリウス・カエサルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

カエサル

 

古代ローマの長として、帝政ローマの礎を築いた

ガイウス・ユリウス・カエサル

古代ローマの歴史の中でもかなり人気の高い革命家ですが、

一体カエサルはどんな人物だったのでしょう?

その人気の秘密に迫っていきます。

 

ガイウス・ユリウス・カエサルはどんな人?

プロフィール
カエサル

出典:Wikipedia

  • 出身地:ローマ
  • 生年月日:紀元前100年頃
  • 死没:紀元前44年3月15日
  • 終身独裁官として帝政ローマの礎を築いた。貴族中心に権力を握る共和制を支持していたローマを、一人のリーダーが引っ張ていく独裁政治へと導く。

 

ガイウス・ユリウス・カエサル 年表

年表

西暦(年齢)

紀元前100年(1歳)父は同名のカエサル、母アウレリア・コッタの子としてローマに生まれる(紀元前102年とする説も)。

紀元前84年(16歳)前86年には伯父マリウス、この年には父カエサルが立て続けに死没。これを経てカエサル家の家長となる。

紀元前83年(17歳)貴族の娘コルネリアと結婚。神官の高位職である神祇官(じんぎかん)を務める。

紀元前81年(19歳)義理の叔父スッラに処刑されそうになり、小アジア、アカエアへ亡命。

紀元前78年(22歳)スッラが死去し、ローマに戻れることになる。

紀元前77年(23歳)持ち前の優れた弁舌で搾取や収賄など、不正を行う政治家たちを次々に告発。一躍脚光を浴びる。

紀元前75年(25歳)ロドス島へ渡り、弁論術などを含む修辞学の権威、アッポロニウス・モロンに師事。弁舌をさらに磨こうとする。

紀元前73年(27歳)ローマに戻り軍団司令官になる。

紀元前69年(31歳)財務官に就任。妻コルネリアが死没。後にスッラの孫、ポンペイアと結婚。

紀元前65年(35歳)上級按察官(建築、祭儀などの管理を行う)に就任。

紀元前63年(37歳)最高神祇官に立候補。選挙運動で多額の借金を抱えるも見事当選してみせる。

紀元前61年(39歳)ヒスパニア・ウルステリオル属州総督となり、軍を率いてルシタニ族、ガッラエキ族を討伐。ローマへ服従させ大金を手に入れる。

紀元前60年(40歳)ポンペイウス、クラッススと手を結び執政官(政治の最高権力者)に。この三人を長とする三頭政治を展開する。

紀元前58年(42歳)ガリア地区の属州総督に就任。ガリア戦争へ踏み出す。

紀元前51年(49歳)ガリア全域を制圧し、ローマ属州にする。

紀元前49年(51歳)三頭政治の体制が崩れ、ポンペイウスが閥族派(ばつぞくは)の元老院(げんろういん)に引き込まれたことをきっかけにローマ内戦が勃発。

紀元前48年(52歳)ポンペイウス率いる元老院を打ち破る。ポンペイウスの行方を追ってエジプトへ行き、国を追われていたクレオパトラ7世を救う。

紀元前46年(54歳)ローマにクレオパトラと、彼女との息子カエサリオンを招く。

紀元前44年(56歳)終身独裁官に就任。権力を自分一人に集中させることで帝政ローマの礎を築く。

紀元前44年3月15日元老院議場にて、側近のブルータス率いる元老院議員たちによって暗殺される。

 

カエサルの勇気が垣間見える逸話

義理の叔父スッラに処刑されそうになる

カエサルは19歳のころ、後に義理の叔父になるルキウス・コルネリウス・スッラに処刑されかけています。

当時ローマは閥族派(貴族中心)と民衆派(市民中心)で争っており、スッラは閥族派に属していました。

カエサルの伯父のマリウスがスッラに殺されたのも、この争いによるものでした。

そしてスッラが独裁官の地位を手に入れるや否や、民衆派を徹底して排除していきます。

そう、伯父のマリウスと同じくカエサルも民衆派だったことを理由に、処刑されそうになったのです。

処刑をまぬがれても、カエサルは妻のコルネリアとの離婚を命じられます。

これを受けてローマから逃げるように小アジアのアカエアへ亡命

コルネリアはカエサルが31歳のころに亡くなってしまいますが、カエサルは自分の命の危機に際しても離婚を拒否し、生涯を添い遂げたのです。

女ったらしで有名なカエサルですが、若いころは一途だったんですね。

海賊に捕まっても毅然とした態度で接した

25歳でロドス島に渡り、アッポロニウス・モロンに弁論術を教わるべく支持するカエサル。

このとき彼はエーゲ海を渡る途中、海賊に捕らえられてしまいます。

海賊たちはカエサルを解放することに対して身代金を要求しますが、なんとその値段を聞いたカエサルは「安すぎる、もっと金額を上げろ」と海賊にいったのです。

不利な状況だということを忘れさせるような立ち振る舞い…さすがにローマの礎を築いただけあって、肝が据わっていますね。

このときカエサルは「自分が解放されたら、お前たちをはりつけの刑にしてやるぞ」と海賊たちを脅していたのですが、この後海賊たちは本当にはりつけにされてしまうのです。

海賊たちも捕まえる相手を間違ったと後悔したことでしょう…。

 

クレオパトラとの出会い

クレオパトラ

紀元前49年のローマ内戦の後、カエサルに破れたポンペイウスがエジプトへ逃亡。

しかしこのとき、カエサルの権力を恐れたエジプトは、逃げて来たポンペイウスを殺してしまいます。

これを聞き付けてカエサルはエジプトへおもむくのですが、このときに世界三大美女としても有名なクレオパトラ7世と出会います。

自分の寝室に忍び込んだ彼女の行動力に惚れ込んだカエサル。

エジプトを追放され、不遇の扱いを受けていたクレオパトラを救い、その後のエジプトも治めてみせるのです。

二人の関係は以下の記事で詳細に知ることができます。

関連記事 >>>> 「カエサルとクレオパトラが結ばれた理由は?国のために奔走する女王」

 

ブルータスの裏切り

紀元前44年3月15日、カエサルは元老院議場にて暗殺されてしまいます。

このとき暗殺のリーダーを務めたのは、なんと側近であり、カエサルが息子のように可愛がっていたマルクス・ユニウス・ブルータスでした。

このときにカエサルがいったセリフがあの有名な「ブルータス、お前もか」です。

共和制を支持していたブルータスは政治的な価値観の違いから、カエサルの暗殺を企てました。

父のように慕っていた相手をも暗殺してしまうとは…共和制への相当なこだわりを感じさせますね。

詳細は以下の記事から確認できます。

関連記事 >>>> 「カエサルが側近のブルータスに暗殺されたのはなぜ?二人を取り巻く因縁とは」

 

きょうのまとめ

カエサルは一体どんな人物だったのか。

その生涯から彼の人物像を辿ってきました。

まとめてみると以下のような感じでしょうか。

① 自分の命をかえりみない勇気を持っていた(妻コルネリアとの離婚を拒否、海賊に捕らえられたときの態度など)

② 弁舌に優れていた(アッポロニウス・モロンに師事するなど自分から積極的に学ぼうとしていた。クレオパトラを救うなど、エジプトも平定した)

③ 悲劇の最後を遂げた(信用していた部下に暗殺された)

これらの逸話からも、カエサルがかなりの人格者だったことが伝わってきます。

元老院議員からは反感を買っていましたが、カエサル暗殺の後の彼らはいい結末を辿りませんでした。

国を治める人間として、いかにカエサルが適任だったかを物語っていますね。

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

nineteen − 2 =