徳川光圀の『大日本史』
徳川光圀が藩命を賭けて行った文化事業の代表的なものが『大日本史』の編纂でした。 彼の死後もその遺志を継いで約250年をかけて完成された史書についてご紹介します。 タップでお好きな項目へ:目次1…
徳川光圀が藩命を賭けて行った文化事業の代表的なものが『大日本史』の編纂でした。 彼の死後もその遺志を継いで約250年をかけて完成された史書についてご紹介します。 タップでお好きな項目へ:目次1…
岩倉具視いわくらともみは明治4年(1871年)、遣外使節団の大使となって欧米を歴訪しました。 期間は1年9カ月、訪れた国の数は12カ国に上ります。 岩倉具視使節団とも言われる彼らは、何のために諸外国へ赴おも…
GHQの支配下にあった当時の日本の独立を回復、軽武装・経済優先といった路線を目指す。 このように、戦後の日本の基礎を作り上げたといわれる 吉田茂。 それでは、吉田茂とはどんな人物だったのでしょうか。 今回は…
尊王攘夷派の公家で、政治家でもあった 三条実美さんじょうさねとみ。 明治新政府では太政大臣を務めるなど、 幕末を語る上では欠かせない存在です。 そこで今回は、 三条実美の先祖や家族、子孫の方々についてご紹介…
三条実美さんじょうさねとみと岩倉具視いわくらともみは、 同じ公家として一括りにされがちです。 やはりそれは、同じく明治維新を推進した西郷隆盛や坂本龍馬などの武士たちとの対比によって、 そうなるのかもしれませ…
三条実美さんじょうさねとみという人物の名前は知っていても、 どういった人物なのかよくご存じない方も多いかと思います。 そこで今回は、 三条実美と長州藩の関係についてご紹介したいと思います。 タ…
「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」という名言を残した 吉田茂。 戦後日本の独立回復やアメリカとの安全保障条約締結といった功績を残した総理大臣です。 吉田は傲慢な性格だったと知られる一方、とてもユーモラ…
吉田茂の家系図を眺めてみると、日本の第92代内閣総理大臣を務めた麻生太郎氏の名前が出てきます。 麻生元総理と吉田茂の血が繋がっていることは結構有名なネタかと思いますが、 実は他にも、あと3人も有名な人物がい…
「平民宰相」と世間からもてはやされるも、一人の平民の青年に殺されてしまった 原敬。 彼は一体、どんな人物だったのでしょうか。 実は「平民」で始まったわけではない、原敬の生涯について簡単に紹介します。 &nb…
千円札の肖像としても、日本人にはお馴染みの 野口英世。 ノーベル賞候補にもなり、世界的にも有名な細菌学者でした。 ですが、彼がどのような生涯を歩んできたのか、説明できる方も少ないのではないでしょうか。 そこ…