明智光秀と織田信長の関係とは?

明智光秀

 

明智光秀と織田信長。

光秀は信長の従順な配下として
織田家の中でも随一の武功を誇り、
実質的に家臣団の筆頭に位置していました。

では、この2人の関係はいったいどのようなものだったのでしょうか?

険悪であったのか、良好であったのか。

今回は光秀と信長の関係についてまとめています。

どうぞ最後までお読みください。

 

明智光秀と織田信長の関係

光秀と信長に関する逸話

信長が光秀に対して暴虐の限りを尽くした
という逸話が江戸時代の軍記物に多く残されています。

本能寺の変の直前の3ヶ月前、

織田家が武田氏を滅ぼした後に光秀は信長の下へ祝賀を述べに行き、

「 我らが苦労した甲斐があった 」と信長に言ったところ、

信長は「 お前になんの功があったというのだ 」と怒り、

光秀の頭を欄干に打ち付けて光秀に恥をかかせた。

信長が家康を京に招待し、

接待の準備役を仰せつかっていた光秀は接待場所である自らの屋敷で準備していたが、

信長が下見をしたところ夏場だったために魚が腐っていた。

これを見た信長は光秀に激怒して接待役を堀秀政に変更。

光秀は用意していた料理の材料や食器を安土城の堀に投げ込み、

城下町に悪臭を撒き散らした。

信長から命令を受けて

出陣の準備をしていた光秀の下へ信長の使者がやってきた。

光秀が話を聞くと

「 出雲と石見の2カ国(敵の領地)を与える代わりに丹波と近江の領地は召し上げる。 」

という信長の命令を伝えに来たとのことだった。

この命令で明智家中は途方に暮れてしまい、

光秀は謀反を起こした。

しかし、これらの逸話はどれも後世に書かれた信憑性の薄いものばかりです。

戦国時代の史料からはこれらの軍記物と同じような記述をされているものが見当たりません。

どうやら後世の創作と見た方がよさそうです。

信長は光秀を誰よりも信頼していた?

天正8年(1580年)、信長は朝廷に働きかけ、
10年間戦争を続けた宿敵・石山本願寺と和睦しました。

この石山本願寺と戦う織田軍団を統括していたのが、
信長の父・信秀の代から織田家に仕えていた佐久間信盛(さくまのぶもり)でした。

信長はこの和睦後、
信盛に対してこれまでの行状を非難する折檻状を送りつけ、
信盛を追放させます。

その内容は、
石山本願寺との戦いを膠着させたことに対する非難や、
信盛がこれといった手柄を立てていないことに対する非難など
全部で19か条にも及ぶものでした。

その折檻状の中に、信長は

丹波国を攻め落として明智光秀は目覚ましい働きをし、

天下の人々に絶賛された

と光秀を誉めたたえる内容を書き記しています。

そして信盛が追放された後、
信盛が統括していた軍団は光秀に与えられたのです。

この信盛追放事件が起こったことで、
光秀は織田家の中でも最大の領地と軍団を保持する立場となりました。

後に光秀は、
この軍団を使って本能寺の変を起こすことになるのです。

光秀は信長のことをどう思っていたのか?

光秀が定めた「 明智軍法 」には

私は信長公に低い身分の時から取り立てていただいて、

このような大勢の軍団を預かるまでに至った

と信長への感謝の意を表す言葉が記されています。

光秀は信長の自らに対する期待が重圧となって、
耐えきれずに謀反を起こしてしまったのではないでしょうか。

大軍団を統括していた佐久間信盛でさえ、
信長の怒りを買ったら一瞬で追放されてしまう。

いずれ信長の期待に添えないような事をしてしまったら自らもそうなってしまうのではないか?

光秀は本能寺の変を起こす直前、
外交関係のもつれから険悪になった
四国の長宗我部元親と信長の関係を改善しようと両者の取次ぎ役を務めていました。

しかし、結果的に両国の関係は破綻し、
信長は四国に大軍勢を送って元親を征服する計画を立てていました。

光秀はしくじってしまった
という思いが少なからずあったはずです。

四国の征伐が終わったら
自らの失敗を信長に諌められるかもしれない。

追放されたら終わり。

それならば大軍勢を操れる今のうちに信長にとって代わってやろうーーー。

という思いから本能寺の変で信長を滅ぼすに至ったのかもしれません。

 

きょうのまとめ

いかがでしたでしょうか。

光秀と信長が個人的に仲が良かったのかどうかは
はっきりと分かりませんが、信長は光秀に相当の信頼を寄せていたことでしょう。

しかし、その信頼が光秀を苦しめ、
結果的に信長自身が与えた軍団で光秀が謀反を起こしてしまったのだとしたら、、、。

皮肉な結末を迎えてしまったとしか言いようがありません。

明智光秀については他にも様々な記事を書いています。

興味がある方はどうぞご覧になってください。

 

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