歴史の事実は変わります。
いえ、正確には変わってはいないんですけど、
新事実が発覚すると現代においてそれまで常識とされていたことを覆すことがあります。
本当のことを知りたい、
けれども知ってしまったら結構びっくり、ということもあるのです。
足利尊氏の肖像画だとされていた絵がその一例でした。
タップでお好きな項目へ:目次
足利尊氏じゃない肖像画とは
江戸時代後期の博物図録集「集古十種」にある
騎馬武者像がかつて足利尊氏像と紹介されていたものです。
オリジナルは京都国立博物館が所蔵しています。
ひと昔前までは学校の歴史の教科書にも尊氏像として紹介されていたその絵は
今では「騎馬武者像」と表記されているそうです。
その肖像画が尊氏説を否定する理由
眼光するどい武者が馬に乗っている姿は臨場感があって、
「尊氏」だと言われれば「やっぱりねー」などと頷いてしまいそうな素晴らしい絵です。
左手で黒い馬の手綱を引き、右手で抜き身の太刀を肩にのせるようにして持っているこの絵が尊氏ではないとする説の理由がいくつかあります。
家紋の違い
描かれている騎馬武者の太刀と馬具に家紋「輪違い紋」が記されているのですが、
その家紋は足利家の家紋の「桐紋」や「足利二つ引き紋」ではありません。
花押の位置と花押の主
肖像画の花押(署名用のハンコやサインにあたるもの)が尊氏の息子の足利義詮のものです。
しかもその花押は肖像画の頭上にあります。
室町時代に将軍である人物の頭の上に、子供が花押を押すことはあり得ないのです。
つまり、その肖像画は足利義詮よりも目下の人物だったのではないかと思われます。
騎馬武者の格好
騎馬武者は兜をかぶらず、
総髪(全髪を後ろへなでつけた男の髪型)にしている髪の毛は乱れており、
刀は抜き身で鞘にも入っていません。
しかも背負った六本の矢のうち一本は折れています。
これはどう見ても肖像画に描く征夷大将軍だった足利尊氏の身なりではなかっただろう、と思われるのです。
つまり、足利尊氏に比較的近い人物だった可能性はありますが
彼自身ではなく、しかも息子の足利義詮よりも目下の者であるという推測が立つわけです。
じゃあ、誰なんでしょう?
ではその肖像画に描かれている人物とは?
義詮周辺で輪違紋を用いた有力な武将というのは、
足利家の執事であった高師直がいます。
残念ながらまだ人物名は確定してはいないのですが、今のところ彼ではないかと言われています。
もしかしたら、この画像は師直、でなければ彼の息子の師詮を描いたものかもしれません。
師直と師詮の忠誠を表わすために描かれ、
義詮の花押はその忠誠心を認める証しではないかという説が最近は有力になっているようです。
もっとややこしい肖像画のハナシ
これだけでもややこしい肖像画問題ですが、実は続きがあります。
近年、京都の神護寺にある国宝・平重盛像と伝わる肖像画が、
実は尊氏を描いたものではないか、という説が浮上してきたのです。
しかも、それと一緒に神護寺に伝わる国宝・源頼朝像は尊氏の弟の足利直義だったのではないかとも・・・。
どの肖像画も非常に有名で、
すでに源頼朝の顔は「あの」肖像画で頭に刷り込まれている人も大勢いると思うのですが。
つまり
神護寺の源頼朝像と言われた肖像画は → 足利直義
神護寺の平重盛像と言われた肖像画は → 足利尊氏
という可能性が出てきたということです。
まだ論争は続いており、いずれの肖像画も誰を描いたものかは確定していません。
きょうのまとめ
この騎馬武者像の主が誰であろうと、
南北朝という動乱の時期の激しさを伝えるように
躍動感いっぱいで描かれたこの絵が素晴らしいことには変わりはありません。
歴史遺産は常に研究され、新しい見解が発表されています。
今後の研究でまたどんな歴史上の「常識」が覆されることになるかはわかりません。
それを知るのもまた歴史を学ぶ醍醐味というものですね。
足利尊氏の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「足利尊氏とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」
その他の人物はこちら
平安時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【鎌倉時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
コメントを残す